平和な暮らしを送っていたある日の事。
リフルシャッフル侯国宛に一通の手紙が届けられた。
侍女よりその手紙を受け取った領主が書斎で眉間に皴を寄せる。
馴染みのない紙や印。装丁は変わらぬ普通の手紙だが、鼻孔をさすインクの香りが開封せずとも感じられた。
不審に思いながらも封を開け、その内容に目を通す。
倭国から?一体何用だ?
『我はヨシノリ、東の地を治める者。
貴国の魔法、素晴らしきものと聞く。
和みの宴を用意し語らいの場を求めるものなり』
不均一な文字の羅列。簡潔にまとめられた先方の意向に、領主は腕を組み思案する。
何故いきなり。しかもこんな小国の我が領へ……
ふいに書斎の片隅に飾られたプレートアーマーが目に入り、旅先で聞いていた情報を再検索する。
確か東の果ての倭国は匠が優れていると聞いたことがあるが……
敵意がないとするならばお互いの情報を交換する条件で一度対話をしてみるのも……
一つの手ではあるまいか……?
幾つかの節を繋ぎ、前向きに対話の機会を検討する。
一度大きく頷いた後、机の上に置かれた新品の紙束に手を伸ばし、すぐさま羽ペンにインクを浸した。
チャンスは逃すまいと逸る気持ちと、同時に僅かな疑念を抱きながら、慎重に言葉を選び手紙の返事を書き始めたのであった。
◇
数か月後。
書斎へと呼び出されたシャッフル王女は、父より会談の予定を言い渡された。
倭国との会談……ですか
左様。
倭国を治めているという『ヨシノリ』が直々にこの城へ訪れたいと申し出があった。
20名程で訪れる予定と聞いている
ヨシノリ様。
倭国の方には初めてお会いいたします。
一体どのような装いなのでしょう
ふっ。やはりそちらに気が向くかディアよ。
倭国には優れた染色技術があり、女性は美しい着物という衣服を纏っているそうだ
キモノ……
一体どのようにして縫われているのでしょう?
裁断の形はこちらの衣服と同じでしょうか?
それに、その染色方法というのも大変気になります
目を輝かせ想像を膨らませる娘の顔に、領主は更なる情報を提供する。
兵士は鎧兜なるものを身に纏い戦場へと赴くそうだ。
この鎧兜とやらにも美しい装飾が施されおり、戦場に出すには惜しい程の芸術品だ。
倭国は匠の宝庫である
素晴らしいお国と存じます。
しかし、そのようなお国の方が一体どうして我が国へ?
うむ……。
倭国には魔法が存在しないそうなのだ。
よってこの地の魔法という力を是非教授願いたいとのご意向だ
魔法がない……のでございますか……
想像できませんわ
互いの力や技術を交換し合いよりよい未来を築けるのならば、今回の会談は佳き機会となるだろう
ええ。楽しみでございます。
それでは倭国の皆様のお食事と、ベッドをご用意して差し上げなければ……
シャッフル王女はにっこりと微笑み出迎えの準備を想像する。
だが領主は対照的に、表情を曇らせ言葉を濁した。
しかしだな……
顎に手を当て考え込んでしまった父の姿を前に、シャッフル王女は不審な表情で声をかける。
お父様?いかがなさいまして?
しばらくの沈黙の後、領主のその重い口が開かれた。
何通か手紙を交わしたが、どうにも違和感が拭えないのだ……。
ディア。当日は念の為、我が国の兵にも召集を掛ける。
この件は誰にも話してはならぬぞ
父の深刻な声色に、シャッフル王女はそれ以上追及することなく頷いた。
かしこまりました
無事倭国との会談が終わるまで、貴下も決して気を緩めてはならぬ。
……何事もなければ良いのだが……
……
いつもとは違う父の顔に、シャッフル王女は戸惑った。
どのようなことがあっても明るく快活に話していた父の姿はどこにもなく、いつものような無責任風に話をごまかすでも、楽観的に未来を語る素振りもない。
外に出掛けては他国と様々な交流を行う領主は、語らずも多くの情報を内に秘めているに違いない。そうシャッフル王女は察するが、それを今の自分が聞いたとしても顔に出さない自信がないと、言葉を閉ざして命を受け入れる他なかったのだ。
とにかく。
今のわたくしに出来ることに、全力で取り組んでまいりましょう
こうしてシャッフル王女は書斎を後にし、コックや侍女たちに今後の予定を伝えに向かった。
◇
え……?倭国との会談?
ええ。
よろしければエリーナさんも歴史的瞬間をご覧になりませんこと?
牢獄塔から降り自室へ向かおうとしていたエリーナを呼び止め、シャッフル王女は事のあらましを説明した。
友好同盟締結を信じて疑わないシャッフル王女は、その貴重な瞬間を是非エリーナにも見せようと会への出席を提案したのだ。
いえ。結構です……
というか、そんな貴重な場に私が混じっても邪魔なだけです
そんなことはございませんことよ?
倭国の使者からお話を伺える機会なんて滅多にございません
別に聞きたいこともないですから
わたくしは倭国のお召し物であるキモノについてや、花や食べ物についてお伺いしたく思っておりますの
え?……キモノ?
あら。キモノをご存知?
……いえ
ご興味おありなのですね!
では是非ご一緒いたしましょう
シャッフル王女はエリーナの両手を一つに束ね、自身の両手でがっしりと掴む。
半ば強引に話を進められエリーナは眉間にしわを寄せるが、満面の笑みで捕えて逃がさないといったその様子に観念し、小さな溜息を一つ零した。
まあ、キモノというものは気になっていたのだ。
キモノとは倭国の衣服のことなのだろうか?
となるとあの時の女性は倭国の者か……?
その溜息は合意の意として捉えてもよろしいのかしら?
……はい
ありがとう存じますエリーナさん。
それでは当日、侍女を向かわせますね
嬉しそうに城の中へ駆けていくシャッフル王女の後姿を眺めながら、エリーナは改めて大きく深い溜息をついた。
◇
夜が一段と冷え込む時期となり、暖炉に火を灯した王妃の部屋は薪と油絵の具の香りに包まれていた。
室内には椅子に腰掛けるシャッフル王女と、麻のカンバスに向かい絵筆を走らせる王妃の姿。
白いドレスを身に纏いシャンパンゴールドの長髪をサラサラと揺らしながら、王妃は迷うことなく黄金の絵具を筆先に馴染ませる。シャッフル王女とカンバスをゆっくりと交互に見比べながら、魔法石の粉末が僅かに光るその筆先で幾重も色を重ねていった。
シャッフル王女がこうして肖像画のモデルとなるのは長らく日課だ。
多忙を極める両者にとって、この時間は母と娘が接することのできる唯一の時間。
互いにこの時が永遠に続くことを願って過ごし、緩やかな時の流れを全身で受け止め小さな幸せを実感する。
シャッフル王女は、母が描いてくれる肖像画の全てが大好きだった。
いや、正確には自身を描くたびに垣間見える、その優しい眼差しが大好きだったのだ。
こうして続いてきた日課により、愛娘の成長をカンバスに留めたその肖像画の数は数えきれない数にまで及んだ。
故にリフルシャッフル侯国の王妃が描く肖像画は多くの人々を魅了し、話題になり、その愛情の深さは街の人々の間でよく噂になっていた。
母の眼差しを見つめて数時間がたった頃、王妃は描きかけのカンバスをそのままに静かに机へ筆を置いた。
画材道具を手際よく片付け、ベットに腰掛け腕を広げる。
ディア。こっちにいらっしゃい
お母様……
終わりの合図。シャッフル王女は母の隣へと並びその腕の中に包まれる。
甘い香りと油絵の具の香りが、シャッフル王女の知る王妃の香り。
思う存分甘えた後、お互いに離れ微笑み合う。
王妃は愛しい娘の髪を優しく撫でながら、優しい口調で語りかけた。
今朝、倭国の伝令人が馬に乗ってやってきたそうですね。
なんでも明日には到着するとか……
ええ。
わたくしもお父様から伺いました。
明日が楽しみでございます
倭国との会談が決まってからというもの、シャッフル王女の笑顔は絶えることがなかった。
毎晩この場所で明るい未来を語り、まだ見ぬ世界に想いを馳せる。
そんな娘の楽しそうな姿を今日も微笑ましく眺めた王妃は、瞳を見つめて優しく笑った。
そうだわ。ディア。
貴女に良いものを差し上げましょう
?……なんでしょう?
うふふ。さあ、なんでしょう
悪戯っぽく笑みを溢しながら、王妃は腰掛けていたベットから立ち上がり鏡台の傍へと歩いて行った。
キョトンとした顔で母の行動を見守るシャッフル王女をチラリチラリと確認しつつ、引き出しの奥から小さな黒い箱を取り出した。
両の掌で優しく包み隠しながら、シャッフル王女の隣に座り直す。
さあ、この箱を開けてご覧なさい
開かれた王妃の手の中には、黒くて四角いベルベットのアクセサリーケースが収まっていた。
王妃の笑顔に導かれるまま、シャッフル王女はそっと自らの手の中へとアクセサリーケースを移動させる。
そしてゆっくり蓋を持ち上げると、中には見覚えのあるアクセサリーが入っていた。
……これは……
赤と黒のダイヤのスートが重なった、小さな布製の刺繍ヘアピン。
金の刺繍で縁取られ縦に繋がったダイヤ。その中に描かれた金糸の十字。紛れもなく、今髪に差しているものと同一の刺繍ヘアピンだった。
王妃の意図を懸命に思案しつつ、未だ首を傾げるシャッフル王女。
その様子を楽しそうに眺めていた王妃はついに、この髪飾りについて説明し始めた。
この髪飾りは、リフルシャッフル侯爵家所有の魔法アクセサリーです。
侯爵家の未来を担う女性に、代々受け継がれてきたものなのですよ
まじまじと髪飾りを見つめながら母の言葉を聞いていたシャッフル王女は、迷いながらも恐る恐る周知の真実を問いかけてみた。
あの……お母様?
これと同じものを、既にわたくしは髪飾りとして使っているのですが……
そう言ってシャッフル王女は自らの髪飾りに静かに触れる。
それを見た王妃は、悪戯っぽく微笑み真実を語った。
うふふ。ええ。その髪飾りですよ。
ですが今貴女が付けているそれはレプリカなの
まあ。レプリカ……
覚えてないかしら?
ディアがまだ小さい頃。私がこの髪飾りを付けて出かけようとする度に、私も付けたい。お母様とお揃いがいいって、いつも残念そうにしていたの。
だから職人に頼んでレプリカを作って頂いたのです
ただの髪飾りではなかったのですね。
それを知らずにわたくしったら……
肌身離さず使ってくれて、嬉しかったわ
昔を思い出しながらニコニコ話す王妃とは対照的に、シャッフル王女は緊張気味に問いかけた。
大切なものなのではなくて?
どうしてこれをわたくしに?
優しい笑顔はそのままに、王妃はしっかりとした声で髪飾りの意味を説明する。
よーくご覧なさい。
赤いダイヤのスートに金の十字刺繍。これはヘルムを意味します。そして黒いダイヤのスート。こちらには十字架が刺繍されておりますでしょう?これは神のご加護を意味しているのです
王妃は未だアクセサリーケースの中に収まったままの髪飾りを指さし、十字の刺繍を空でなぞる。
そして髪飾りをケースから取り出すと、シャッフル王女の左前髪横に飾られていたレプリカを外し、本物の魔法アクセサリーへと付け替える。
ダイヤ騎士の髪飾り。
この髪飾りには聖騎士ローランのご意志が宿っています。
貫き通すは自由の意志。
貴女の未来を明るく照らし、きっと力を貸して下さることでしょう
王妃はシャッフル王女の頬に手を添えて微笑んだ。
素敵な意味がおありなのですね。
これからも、毎日つけてもよろしいのでしょうか?
もちろんです。
私から愛するディアへのプレゼント……
本日をもって正式に、貴女に継承いたしますわ
ありがとう存じます。お母様。
この髪飾り……いつまでも大切にいたします
ええ。よく似合っているわ
シャッフル王女は立ち上がり、鏡台の前に立ち姿を映す。
王妃も娘の後に続き、一緒に鏡をのぞき込んだ。
娘の肩へと静かに手を置き、王妃は鏡越しに語り掛ける。
……明日はきっと良い日になるでしょう。
……自由に生きなさい、ディア。貴女の信じる道をまっすぐに……
はい。お母様……
満面の笑みで向かい合う二人。
シャッフル王女は甘えるように、再度王妃に抱き着いた。
月が窓から見えなくなるまで。フクロウの鳴き声が遠退くまで。鏡を見たり髪を解いたり、二人は幸せな時を過ごすのだった。
ディアヒストリー24 終了