遅い……いくらなんでも遅すぎます
時刻は既に6時30分。日の出の時刻もとうに過ぎ去り、柔らかな日の光と鳥の囀りが美しい朝を象徴します。
本日、早朝6時に私の部屋へ来るようにとお伝えした筈ですのに、エリーナさんが扉を叩く気配すらございません。
エリーナさんを信じこのまま待ちましょうか?それとも……
一昨日の様子やエリーナさんの性格から考えるに、まさか初日から、しかも無言で命を蔑ろにするなんて思えませんし、嫌なお顔をし文句を言いながらでも、結局は任を全うするのが常でございました。
何か、あったのでしょうか……?
次第に心配になってきた私は、自らで身だしなみを整えて、エリーナさんの部屋へと向かいました。
◇
エリーナさんのお部屋は、侍女たちの住む部屋のお隣。
間取りでいいますと、エントランスを左に進み、応接室、ダイニング、侍女らの作業部屋を過ぎ突き当りの階段を登り、そのまま2階へ上がります。
もともとは使用人たちを寝泊まりさせるために使っていた部屋の為、多少の装飾はあれど城内では一番落ち着いた空気を漂わせていたと記憶しています。
といいますのも、実はエリーナさんのお部屋を訪れるのはこれが初めてでございまして、この階に足を踏み入れたのも幼き頃以来です。
扉の前に到着した私はノックをしようと右手を上げます。ですがここで、ある違和感に気づきました。
あら?扉が少し空いています……
既に部屋を出たのでしょうか?
私は恐る恐る声をかけつつ、扉にそっと手を掛けます。
エリーナさん?いらっしゃいますの?
静かに扉を開け一歩踏み込むと、衝撃の光景を目の当たりにしたのでした。
な、なんということでしょう……これは清らかではございません……
薄暗闇の中を確認すると、そこは到底人間が住んでいるとは思えない程悲惨な状態でございました。まるで魔獣を数年間この部屋に放し飼いにしていたかのような散らかりよう……。
具体的にご説明いたしますと、床には衣服や下着、書類や紙くずが足の踏み場の無い程に散りばめられ、机の上には山積みの古い本と走り書きしたメモのようなものが至るとこに貼られ落ち、お金や魔法石といった貴重品が無造作に放置されている始末。
唯一くっきりと見える窓際横のベッドへ目をやると、毛布にくるまって寝息を立てるエリーナさんの姿がございました。
なんということでしょう。いらっしゃいましたわ
私は足の踏み場を探しながら何とかエリーナさんのベットまでたどり着き、そっぽを向いている肩に手をかけ、軽く揺らして声を掛けます。
エリーナさん。起きて下さい。
もう日は登っておいでなのですよ
もぞもぞと動き出したかと思うと、更に毛布の下に潜り込もうとうずくまります。
寒い……眠い……
お約束の6時はとうに過ぎてございます。
お起きになってください
6時……まだ6時……
大丈夫です……そんな朝早くから活動できませんから……
では……
大丈夫ではございません。
訳の分からないこと仰られては困ります。
本日よりわたくしの侍女として身の回りのお世話をして下さるのでしょう?
さあ、お起きになって
私は唸るエリーナさんを無理矢理抱え起こして座らせた後、勢いよくカーテンを開けました。
迎え入れた清々しい朝日が室内を照らすと、鬱陶しそうに顔をしかめます。
そして小さく唸り声を発したかと思うと、抱えた膝に顔を伏せそのまま動かなくなってしまいました。
仕方がありません。
お手伝いしますから、早くお着替えになってください
私は備え付けられた小さなクローゼットを開き中を確認します。
しかし、そこには喪服のように漆黒でロング丈のブラウスワンピースが1着と、地味なお色で簡素なお洋服が数枚入っているのみで、これといって相応しい服を見つける事が叶いませんでした。
エリーナさん。お洋服はこちらで全てでございますの?
……はい。
別にどれでも大丈夫です。
コートを着てしまえば、同じですから……
そうして薄目を開け始めたエリーナさんを改めて見て思います。
寝ぐせだらけの髪に、くたびれ尽くした下着、そして恐らく、数日は着回しているであろうお洋服の数々……。
これは想像していた以上に、レディへの道は険しいかもしれません。
……決めました。本日は予定変更です。
まずは私のアトリエで、侍女服をお見立てして差し上げます。
その後は街へ出て、淑女の身だしなみ用品を買いそろえましょう
……必要ありません
いけません。
服の種類が無さ過ぎですし、何より身なりがすっきりとしてございませんこと。
本日はまず、自らを磨くところから始めましょう
気が進まないといった感じのエリーナさんですが、このままでは乙女として堕落した人生を送ってしまうことでしょう。
私のお傍にいる以上、そんなこと絶対にさせません。
決意を新たにし未だ寝ぼけた状態のエリーナさんの着替えを半ば強引に手伝います。
これでは、どちらが侍女なのかわかりませんわ
そんな気持ちを抱えつつ、散らかった部屋からなんとか必要アイテムを発掘し、できる限りの身なりを整えます。
気怠そうなエリーナさんをやっとの思いで部屋から連れ出し、途中で立ち止まらぬようアトリエまで手を引いていくのでした。
◇
私が管理を務めます「アトリエ・リフルシャッフル」はエントランスから右へ進むとございます。
領民も気軽に訪れる事が出来きますよう、正門から玄関へ至る道の途中に小径を作り、外からも直接お越しいただけるようにもなっています。
物心がついたころより侍女らと共に始めたアトリエは、時を重ねて領民に知れ渡り、今ではよき交流の場でございます。
せっかくですから、美味しい朝の空気を頂きながら、外の入口から入りましょうか
え……?はい
小径を歩くころにはエリーナさんもすっかり覚醒し、足取りも確かなものになっていました。
入口前に着き、私はにこやかに扉を開きます。
さあ。いらっしゃいませ。ここがわたくしのアトリエ・リフルシャッフル
……なんだ、ここは……。
フリルとトランプでいっぱいだ……
恐る恐る入室後、エリーナさんが室内を見渡し驚いたお顔で呟きます。
一言で例えるならば、恐らく『貴族のクローゼット』。
エリーナさんの目には、そのように映っている事でしょう。
入室してまず一番初めに目に入るのは、壁面いっぱいに詰め込まれたお洋服。
それも全てにフリルがあしらわれており、他国ではなかなか取り扱っていない前衛的なデザインばかり。そしてふと天井を見上げると、小さな数個のシャンデリアの合間を縫って、魔法で大きくしたトランプが何枚も貼り付けられています。
アトリエ・リフルシャッフルへお越しになるのは初めてで?
はい。存在は知っていましたが入室したのは初めてです
私の問いに素直にお答えになったエリーナさんでしたが、すぐに視線を逸らし少々唇を尖らせて、神妙な面持ちで何やら考えだしました。
いかがなさいまして?
いえ……ずっと気になっていたのですが、リフルシャッフルとはどういう意味なのかと思いまして……
私はすぐさまオーバースカート裏に手を忍ばせ、そこの隠しポケットの中から愛用のトランプを取り出します。
ふふ。こちらをご覧になって
そうして右手で持った52枚のデックを親指で弾き二つに分け、分けたハーフデックをお腹の前で両手に持ちます。
左右のトランプを一枚ずつ交互にパチパチと弾き重ね合わせた後、トランプを包み込むように両手を重ね、シャラシャラと流し一つのデックに戻しました。
今お見せ致しましたのが『リフルシャッフル』。
トランプの混ぜ方の技法でございます
これが、リフルシャッフル!
エリーナさんは初めて見るトランプ技法に目を輝かせます。
トランプを様々な形に組み合わせ役を作って楽しむように、ジャンルや形式に捕らわれず、自分なりのおしゃれを楽しんで欲しい。
このアトリエをきっかけに、様々な人々と交流し、新しい世界をつくっていきたい。
そんな願いを込めて付けた名前なのでございます
私は持っていたトランプを元の位置にしまい微笑みかけます。
エリーナさんは深く納得したご様子で、改めてアトリエ内を見回して下さいました。
リフルシャッフルには、そのような意味があったのですね
ええ。
ちなみにお洋服の壁の奥には、裁縫をする作業台と無数の糸、刺繍を施す絡繰り織り機がございます。
侍女の皆様は裏口より入室なさいますので、エリーナさんも今後は城の中を抜け裏口をご利用くださいませ
かしこまりました
疑問が晴れすっきりしたのか、エリーナさんの表情は心なしか清々しく見えました。
ですが流石エリーナさん。いよいよ興味を持ってくださったのか、質問の追撃が始まりました。
あの、もう一ついいでしょうか?
ええ
ここにある洋服は全てシャッフル王女のものなのですか?
ふふ。
わたくしのものと言えば、確かにわたくしのものかもしれませんね
……違うのですか?
この子たちは、素敵なレディのお迎えを待っている天使たちなのです
……どういう、意味でしょうか?
よく分かりませんといった表情で、エリーナさんは首をかしげます。
私は最近仕上げたばかりの洋服を取り出し、両手に持ちながら説明します。
ここにあるフリルがあしらわれたお洋服は全て、わたくしがデザインいたしました。
そして侍女らと共に糸を紡ぎ、輝きの魔法をかけて仕上げています
これを、お作りに……
驚きです……。
お迎えを待つ天使というのは?
ここにあるお洋服は全て、領民や他国よりの来客、そして旅人の皆様にお売りしているものなのです
なるほど。これが噂に聞いていた、シャッフル王女の繊維産業なのですね。
……しかし、このようなアヴァンギャルドな衣服を纏っている者を、シャッフル王女以外であまり見かけたことがないでのすが……?
流石エリーナさん、直球の指摘に笑顔で硬直し沈黙します。
……本当に、はっきりとしていらっしゃいます。エリーナさんは
あ……いえ、あの……
よろしいですの。仰る通りですから
申し訳ございません!
無礼なことを申しました!
流石につい先日の出来事でございますから、事の重大さに気付いたのでしょう。
冷や汗を長し血相を変え、深々と頭をお下げになりました。
ですが無礼はともあれ、エリーナさんの指摘はいつも的を射てはいるのです。
本当に、もどかしいものでございます。
世の中には素敵なものが沢山眠っておりますのに、皆その素敵から目を背けておいでです。
この子たちもその素敵の一画です
以前シャッフル王女が仰っていたではありませんか?
心は支配できないと。
感性もまた人それぞれでしょう
残念な事ですが、近頃は少々、その事情が異なるのです
そう、なのですか?
ええ。
近頃は皆、目立つことを恐れているように感じます。
興味のある事好きな事、本当になりたい自分をお持ちですのに、何故かその気持ちに蓋をしていらっしゃる……
私は静かに目を伏せた後、アトリエ内を見回し、両手に持っていた洋服を元の位置に戻します。
……心当たりがあります。
やりたいこと、手に入れたいものがあるにもかかわらず、何かと理由を付けて心を封印してしまう人がおりましたから
個性こそ、人が人として輝ける最大のマジックマテリアルにございます。
個性を一番表すアイテムが、このお洋服たちだとわたくしは考えているのです
なるほど。
確かに私は、その者の第一印象から魔力を見定めていた節があります
個性という魔力が強い女性は、人を笑顔にする魔法使いへとその歩みを進めます。
逆に、没個性、普遍的な趣味趣向に溺れると、内に秘めたる笑顔の魔法も、次第に弱くなってしまうのです
魔力の振り幅は人それぞれですが、一説では潜在的な自信の強弱でその力が変わるとも言われています。
恐らくシャッフル王女のお考えは、この説に通じていると推測します
乙女は皆ダイヤモンドの原石です。
着替えるたびに磨かれる美しく素敵な魔法石……。
フリルをあしらったこのお洋服を纏ったその一瞬一瞬が、人生で一番輝ける瞬間になりますように。
わたくしはそんな願いを込めて、ここで糸を紡ぎ続けているのです
私は笑顔でエリーナさんに向き合います。
それにつられてエリーナさんも、かすかにほほえみ返してくださいました。
素晴らしいお志しだと思います。
いつかこの地が、華やかな衣服を纏った者たちでいっぱいになることを、私も共に願います
この小さなアトリエで生み出せるお洋服は、決して多くはございません。
だからこそ、一つとして同じものがない衣服をお届けすることができるのです。
私はこれからも率先し、このフリル多きのお洋服を、纏い続けて参りたいと存じます。
すっかり話し込んでしまいました。
さて、エリーナさんにはどのお洋服がお似合いかしら?
え!?
もしかして、このかわいいフリフリしたものを私が着るのですか!?
何をいまさら仰いますの?
うふふ。こちらなんていかがかしら?
そうして白やピンクのフリル服を手に取り勧めます。
いや、流石に白やピンクは……
それに、こんなフリフリした可愛らしい服、私には絶対似合いません!
ちなみに……。
今お召しになっているなっているそのコート。
そちらだってわたくしがデザインしたものでしてよ?
その証拠に、フリルがあしらわれておりますでしょう?
え!?そうだったのですか?
言われエリーナさんは自分の衣服を確認します。
茶色のトレンチコートをベースに、チムニーカラーを採用。ウエストをAラインにカットしフリルを取り付けた自慢のデザインです。
エリーナさんがこの城にいらっしゃった時、衣服を何もお持ちでないと聞きお父様へ差し出したのがこのお洋服でした。
どうかエリーナさんに差し上げて下さいと……。
エリーナさんの髪は美しいブラウンでいらっしゃいますから、こちらの純白のフリルワンピースや淡いピンクのフリルブラウスが、まことお似合いになることでしょう
エリーナさんは苦笑いの表情を浮かべながら両手を前に出し、受け取ることを拒否します。
せ、せめて黒い洋服はございませんか?
それかもっと地味な色を……
黒がお好きで?
でしたらこちらがよろしいでしょう
私は洋服の壁をかき分け、一枚のシルクワンピースを差し出します。
それはまさしく、侍女たちの意見を取り入れ作った侍女の為のワンピース。
Aラインドレスがベースのスタンドカラーで、黒生地がベースではございますが、身ごろ全面部分のみ白い生地をあて、ボタンで開閉できるようデザインしてございます。
最大のポイントは、背面へいくにつれて長くなるスカート丈。
美しく流れる上品なシルエットに仕上げました。
それを見たエリーナさんは少しためらいつつも、恐る恐る受け取り目を丸くします。
これは……とてもシンプルですね。
フリルもなければリボンもない
侍女たちのリクエストなんですの。
フリルやリボン、姫袖がございますと、お仕事柄どうしても差し支えがあるようでして、機能的かつ審美性を重視して製作したのがこのお洋服なのです
これだったら……いや、やはり……
フリル無きは残念ですが、まずは白をコーディネートに取り入れるところから始めましょう
……
エリーナさんはお洋服を見つめたまま固まっていらっしゃいます。
恐らく、ご自分が着ているところを想像なさっているのでしょう。
着てご覧なさい
え!?……いや……
さあさあ。フィッティングルームはこちらです
足取り重いエリーナさんの背中を押し、フィッティングルームへ入れカーテンを閉めます。渋々ながらも、ごそごそと着替え始めたご様子です。
お洋服は、人が着て初めてその本来の形と美しさが現れます。
悩んだらまず試着する。これがフリル服を選ぶうえでの鉄則です。
人はそれぞれ身長やボディラインが違いますが、その方その方にあったフリル服が必ずあると信じています。それを想像し、様々なデザインを考えるのがまた私の楽しみであり、そしてやりがいでもあるのです。
私はそのカーテンが開く瞬間を、外で静かに待ちわびます。
エリーナさんのイメージチェンジを期待しつつ、短いようで長い数分が経過。
すると次第に、カーテンの中の物音が消え始めました。
終わりました
そのお姿、是非拝見しとうございます
わ、わかりました……
僅かに緊張が含まれた返答の後に、ふっくりとカーテンが開かれます。
そして私の目に映ったのは、今まで見たことの無いエリーナさんの一面でした。
まあ。まことに見違えてございます。
素敵でございましてよ
に、似合わない……
そういってエリーナさんは鏡とにらめっこを始めます。
私はすかさず共に鏡をのぞき込み、エリーナさんの肩に両手を置き、鏡越しに微笑みかけました。
わたくしはそうは思いませんのよ。
たいそうお似合いですわ
そうでしょうか?
未だ苦いお顔のエリーナさんを鏡越しに見つめ、語りかけます。
女性は、自分の魅力を自分自身で知り、それを磨いてこそ真に輝きます。
エリーナさんはまだ、ご自分に潜んでいる魅力にお気付きではないのでしょう
私は、鏡というものが嫌いなのです
エリーナさんは鏡から、というより、鏡に映った自分自身から目を背けてしまいました。
その様子を見て少々強めに、かつ柔らかく語りかけます。
目を背けてはなりません。
しっかりと自分をご覧になって
……
しかし頑なに視線を逸らし続けます。
エリーナさんも、きっと心に蓋をしているのだと察しました。
理想は鏡に映りません。
鏡に映るのは今の自分のみ……。
もし今鏡を直視できないというのであれば、きっとエリーナさんは『今』の自分に満足できていないという事なのでしょう
理想など……
鏡に映った自分自身をしっかりと受け入れられるよう、まずはその『自分』を知るところから始めなければなりません
そんなこと、どうやって……
暗いお顔のエリーナさんから少し離れ、声を弾ませ提案します。
ふふ。このまま街へ出掛けましょう。
街には言葉を話す『素敵な鏡』が沢山いらっしゃいましてよ?
ええ!?こ、このままですか!?
も、申し訳ございませんが、私は現在お金がございませんから、このお洋服はまたの機会に……
お代は後払いで結構でございます。さあ、参りましょう
こうしてエリーナさんの手を引きながら、街へ向かって小さく駆け出したのでした。
ディアヒストリー14 終