ディアヒストリー26

街人1
街人1

最近、王妃様の姿が見えないねぇ……

街人2
街人2

言われてみれば……

お加減でも悪いのかしら?

街人3
街人3

いや……ここだけの話、鍛冶屋の若いもんが城から墓地へと向かう葬列を見たらしいんだ

街人1
街人1

葬列ぅ!?
どなたかお亡くなりに……?

街人3
街人3

だから、もしかしたら……よぉ

街人2
街人2

そんなはずは……
だって、王女様は変わらず笑顔でいらっしゃるのに……

街人3
街人3

きっと必死に耐えていらっしゃるのだろうよ。
お可哀そうに……

街人1
街人1

そんな……何故王妃様が……

街人2
街人2

王女様の前では、王妃様のお話はしない方がいいかもしれないねぇ

街人3
街人3

ああ、その方がいいだろうよ……。
王女様が変わらず俺たちと接してくれてんだ。
俺たちも変わらず、笑顔で迎えてやろうじゃないか

倭国との会談が破談に終わった数か月後。
街では『王妃様が亡くなったのではないか』という噂が広まっていた。
もちろん、領主より公式の報が無い為噂止まりではあったものの、領内ではいつしか『王妃の話はしないほうがいい』という雰囲気のまま時が流れ、その真実を追求する者は誰もいなかった。


会談が破談となったあの時。王妃は突然現れた着物の女により操られ、シャッフル王女に牙を剥いた。領主の咄嗟の行動によりその暴挙は阻止されたものの、王妃はそのまま床に倒れ伏し意識を失った。
乱戦状態となった応接室からやっとの思いで王妃を連れ出した侍女たちだったが、晩餐室で王妃を介抱した際その真実に目を疑う。
胸を突き刺すガラス片……。次第に赤く染まっていく、美しい薄絹のホワイトドレス……。
倒れ伏した際に、割れた花瓶の鋭利な一片が、運悪く王妃の心臓を貫いたのだ。
侍女の悲鳴を聞いたシャッフル王女は王妃の様態を目の当たりにし、博識である自身の教育係ボスコヴィッツの部屋へ急ぎ助けを求めた。
皆で懸命に王妃の治療に当たったものの、王妃は二度とその美しい瞳を見せることはなく、数日後には蒼白の女神として深い土の下へと姿を消した……。


王妃の容態を知らぬまま、領主とその兵たちは倭国の兵を追い城外にまでその戦火を過熱させた。城の外に待機していた倭国の兵10名と、同じく待機させていた残りの近衛兵90名が加勢し、リフルシャッフル兵100名とヨシノリ、ヒデヤス除いた18名の倭国兵での乱戦状態となった。
この時点では、リフルシャッフル侯国側の優勢は歴然だった。
しかし……。
領主が潜ませておいた100名の近衛兵たちはたった18名の倭国の兵に苦戦することとなる。
果敢にも剣を振りかざす近衛兵たち。が、俊敏な倭国の兵の剣技とその鋼鉄の鎧に全くと言っていい程歯が立たず一人、また一人と倒れていく。
息の上がっていく近衛軍。余裕の表情で刀を振るう、恐ろしく速い倭国の兵……。
結果倭国兵を撃退することには成功したのだが、「追い払った」……というよりはむしろ、「見逃してもらった」ようなものであり、その状況はどんなに取り繕っても美談にしがたいものだった。
圧倒的な力の差を見せつけられた近衛兵たちの士気は一気に消失。戦乱後一人、また一人と城から去ってき、忠誠心を見せ残ったのはたったの二人。城を出た者は皆、命惜しさに自身の家族や恋人の元へと帰っていき、以降近衛兵として城に戻ってきた者は誰もいなかった。


愛する母の密葬を終え、城内は悲しみに包まれる。
しかしただ一人シャッフル王女だけは、決して笑顔を絶やさなかった。
商店街へと足を運べば、明るく手を振り気丈に振舞い、領民たちと交流する。
もしくはシャルロットの背に跨り、ジョスト場へと赴いては、ただひたすらにジョストや剣術の稽古に励んだ。
そんな様子を見た侍女たちは次第に元気を取り戻し、シャッフル王女に給仕を尽くす。
そう、まるで何事もなかったように、これまでの日常が蘇っていた。
しかし。
シャッフル王女のそんな様子に、心を痛める者が一人いた。

エリーナ
エリーナ

シャッフル王女……

眠れぬ日々を過ごすエリーナは、こっそりと早朝の聖堂を覗き込む。
窓の外から見たシャッフル王女の横顔には、いつも涙が伝っていた……。







領主
領主

ディアはどうした?

侍女1
侍女1

それが……まだ聖堂に……

侍女も交えての、家族団らんの朝食時間。ダイニングに姿を見せた領主だったが、テーブルの様子に顔をしかめる。それもそのはず、その場にシャッフル王女の姿がなかったからだ。
王妃の死から1年が経とうとしていた。
だが、時が経てば経つほどに、シャッフル王女の礼拝の時間が長くなり、こうして朝食の時間に遅れることが増えていたのだ。
眉間にしわを寄せながら、領主は自らの椅子に手を置き嘆いた。

領主
領主

仕方がない、とはいえ‥‥‥

重く椅子に腰かけ、不在の席をしばらく見つめる。

領主
領主

このままでは、いずれディアは輝きを失う。
偽りの輝きは己のみならず、我が国の未来をも滅ぼすだろう

食事に手を付けない領主を見つめる、二人の侍女と家庭教師。
皆席に座りながらも誰一人として動くことなく、シャッフル王女の今を脳裏に浮かべる。
しばしの沈黙の後、ついに領主が口を開き、同席の侍女に命を下した。

領主
領主

お前たち。
仕事を終えたら、我が書斎に『引き籠りのエリーナ』を連れてくるのだ








書斎に呼び出されたエリーナは、領主と目を合わせることなく対峙していた。
命を拾ってもらった身ではあったが、未だ領主の本心が読めずどう接していいか困惑する。
居場所をくれたのは事実。だが領主はそのままエリーナを放置した。
何の命も下さず任も与えられず正に放し飼い状態であり、そんな領主の態度に「拾っておいて無責任だ」と思わなくもなかったが、勝手の分からぬ地でどうすることも出来ず気付けば3年近くが過ぎていた。

領主
領主

エリーナ。
ディアの様子、貴下はどう考えている?

エリーナ
エリーナ

……

エリーナは答えない。いや、答えられなかった。
毎日毎日、聖堂にて涙を流すシャッフル王女。
かつてうざったい程に塔の下に来ては叫び笑顔でちょっかいを掛けていたのに、あの事件以来全くと言っていい程その姿を見せなくなっていた。
明らかに変わった、シャッフル王女の日常。
しかしどう思うと聞かれても、エリーナは今の心境を口には出来なかった。
言葉に形容することが出来なかった。
そして……。
口に出来ない、理由があった。

エリーナ
エリーナ

私の……せい……なんだ……

頑なに口を閉ざすエリーナを前に、領主は問答無用で本題を口にした。

領主
領主

エリーナ。魔術を使えるか?

エリーナ
エリーナ

っ!?

突然の言葉に驚き目を見開く。
目を合わせられないまま、小さく体を震わせた。

領主
領主

答えよ

エリーナ
エリーナ

な、なんのことでしょうか……

領主
領主

貴下が夜な夜な城を抜け出し、『どこか』へ出かけているのは知っている

エリーナ
エリーナ

っ……

領主
領主

貴下は魔術師達の……

エリーナ
エリーナ

違います!!!

エリーナは叫んだ。
勢いよく顔を上げ領主を睨み、その言葉の先を押さえ込む。

エリーナ
エリーナ

バレてはいけない。
あの場所に行っていることが知れたら……
あの場所の存在が知られたら……。
私も、あの館にいる人たちも……
皆……皆捕まってしまう……!

心臓が激しく鼓動する。動悸が止まらず震える手を握りしめた。
かつてない程の眼力を飛ばされた領主は、全くと言っていい程誤魔化しきれていないエリーナの態度を僅かに嘲笑し力を抜いた。

領主
領主

ふっ。安心せい。
何も、貴下や未開の森の魔術師達をどうこうしようという訳ではない。
……私も奴らには世話になったことがある故な

エリーナ
エリーナ

……

内心僅かに安堵するが、エリーナは尚も硬直し続ける。
しかし領主は構うことなく、どんどん話を進めていった。

領主
領主

頼みがあるのだ

エリーナ
エリーナ

……

領主
領主

ディアに『忘却の魔術』を掛けて欲しい

エリーナ
エリーナ

っ!?
忘却の……魔術……

震える声でエリーナは反応する。
消え入るその言葉を耳に入れた領主は立ち上がり、扉の方へ歩みを進めた。

領主
領主

これからディアを連れてくる。
少し待て

エリーナ
エリーナ

え……
ま、待ってください!!

すれ違いざま、咄嗟に振り向き領主を呼び止めた。
見えていた背中がスッと止まり、ゆっくりとエリーナの方へ向き直る。
領主は無言で目を合わせ、一体なんだと威圧した。

エリーナ
エリーナ

わ、私はっ……
忘却の魔術は使えません……
というかそもそも……
本当に私は、まだ魔術というものを、何一つとして扱えないのです

領主
領主

だが扱い方は知っていよう。
それで十分

エリーナ
エリーナ

そんな!
……もし失敗したら……

領主
領主

失敗したところで何も変わらない。
知性を含めた言葉の羅列を、上手く扱えるものだけが成功する。
それが魔術というものだ

エリーナ
エリーナ

ですから、今の私が魔術を使ったところで、何も……

領主
領主

言い訳が多い、覚悟を決めよ

エリーナ
エリーナ

っ!?
勝手をことを……!!

自分の意志などお構いなしにどんどん未来を決めてしまうその自己中心的な領主の態度に、エリーナは必至で抵抗する。

エリーナ
エリーナ

いいですか!?
明らかに私より、領主様の方が知性に優れているじゃありませんか!?
魔術師かどうかはさておきその口ぶりからすると、貴方も忘却の魔術の掛け方を知っている筈です!

領主
領主

口が少々過ぎるぞ、エリーナ

エリーナ
エリーナ

だったら!
貴方が自分で掛ければいいじゃないですか!!

領主
領主

それはしない

エリーナ
エリーナ

何故ですか!?

領主
領主

私がディアに忘却の魔術を施せば、100%成功するだろう

エリーナ
エリーナ

はあ?
だったらそれでいいではないですか!?
どうしていちいち私を使うのです!?
というか、人の精神をマイナスな方向へ支配する魔術は、どちらかと言えば呪いに近い。
貴方は自分の娘に呪いを掛けて一体何がしたいんですか!?

言葉を荒げ言い争う両者。
と言っても、必死に噛みついているのはエリーナの方であり、領主は冷静に、そして面倒くさそうに答えていった。

領主
領主

全く……。
主に向かって説教とは……
まだ身の程を知らぬか。
口答えばかり優秀になりおって……

領主はじわじわと湧き出る怒りを抑え、エリーナに数歩近づいた。
そして両手を肩にずっしりと乗せ、低い声で問いただした。

領主
領主

貴下が今ここに生きているのは何故だ

エリーナ
エリーナ

……それは……貴方に……拾って頂いたからです……

エリーナは悔しさを滲ませながらも必死で答えた。
命を救ってもらった恩は、同時に究極の弱みでもあったのだ。
こうやってこれから死ぬまで一生、この人に虐げられるのかと歯を食いしばりながら屈辱に耐えていたのだが、領主の口から思わぬ言葉が飛び出した。

領主
領主

否……

エリーナ
エリーナ

……え?

領主
領主

貴下を生かしていたのは、自身に掛けられていた『期待』という呪いだった筈だ
……違うか?

混乱する頭を懸命に整理し言葉を探す。

エリーナ
エリーナ

何を、言い出すんだこの人は……。
てっきり、命を救ってやったのだから命令に背くな……とか言われると思っていたのに……。
確かに私は、死にたいと思っても死ねなかった。
家族と、ギルドのみんなの、期待を裏切ることが出来なくて……

目を逸らし考え込みだしたエリーナに視線を落とし、領主は優しく諭していった。

領主
領主

確かに私は貴下を救った。
だが私の手を掴んだのは貴下の意志だ。
生きる義務から解放された今、次に探すべきは生きる意味、そして持つべきは生きる意志だ

エリーナ
エリーナ

生きる意味と、意志……

領主
領主

呪いに命を救われた貴下ならばわかる筈だ。
呪いによって、守られる未来もある。
今のディアには、呪ってでも守らねばならない未来があるのだ

エリーナ
エリーナ

……

エリーナは考える。本当に、忘却の魔術をシャッフル王女に掛けてもいいのだろうかと。
気付かぬうちに掛けられた呪い。それは生きる上でとても辛くて、苦しくて……。
あの苦しみ、そして呪いに気付いた時の絶望感は、それこそ、自分や周囲の何もかもが信じられなくなる程に酷く残酷なものだった。
自身が苦しんできたのと同じ思いをシャッフル王女に強いることは、本当に正しい事なのだろうか。
でも……。

エリーナ
エリーナ

もし…
もし、私が忘却の魔術をシャッフル王女に掛けられたとしても、恐らく完全な忘却は出来ないと思います。
私の知識の言葉は弱い……。
きっと何かのきっかけで、記憶の断片が蘇るでしょう

領主
領主

それで良いのだ。不完全で構わない。
いや……不完全でなければならないのだ

エリーナ
エリーナ

どういう、ことですか……?

領主
領主

このままではディアは輝きを失ってしまうことだろう。
どんなに取り繕っても、いずれあらゆる意志を失い地に落ちる。
しかし悲しみ全てを忘却させてしまっては、ディアはディアとして不完全なままだ

エリーナ
エリーナ

……よく、分からないのですが……

領主
領主

……少しの間でいい。
倭国と王妃に関わることを忘れさせ、時間を稼いでほしいのだ。
ディアがあの現実を受け入れるにはまだ若かった。
ディアがしっかりと現実を受け入れられる精神力を身に付けるまで、忘却の魔術で記憶を封じたい

エリーナ
エリーナ

ではやはり、私ではなく領主様が魔術を掛けるべきでは……

領主
領主

否。もう一度言うが、私が望んでいるのは時間稼ぎだ

エリーナ
エリーナ

……

領主
領主

倭国や王妃の記憶を完全に消し去りたい訳ではない。
貴下の弱い魔術が少しずつ、ディアの記憶を刺激するだろう。
そして全てを思い出したその時に、ディアが現実を受け入れられる覚悟が出来ているか否か……
こればかりは、ディアの成長を信じるしかあるまい

エリーナ
エリーナ

そんなに、都合よく……

領主
領主

王妃はディアを甘やかしすぎたのだ……。
依存を許せば、成長が止まる。
そして王妃が亡くなったことで、ディアは行く先を見失った

エリーナ
エリーナ

……はい

領主
領主

そして今は憐れな事に、『祈り』に依存している状態だ。
王妃がディアを甘やかしていた以上、遅かれ早かれこういう事態は訪れただろう

エリーナ
エリーナ

そんな……

領主
領主

……頼んだぞ。エリーナ。
貴下の魔術で、ディアの未来を守ってくれ。
……そして……

領主はエリーナの肩から両手を外し、背中を向けて歩き出す。
言い淀んだ言葉の続きは、広く大きな背中越しに聞こえてきた。

領主
領主

私の生きる意味も……な

それは今まで聞いたことの無い程深刻で、深い悲しみを含んだ声だった……。
この言葉を投げ捨てられるほどの強い意志を、無論エリーナが持ち合わせてる筈がない。
ドアノブに手をかけて静かに退出してく領主を見送り、取り残された室内で一人、零れた言葉を確かに受け取った。
大きなため息を一つつく。パタリと閉められたドアに向かって、エリーナは小さく言葉を投げ掛けるのだった。

エリーナ
エリーナ

了解……いたしました……







まだ日は高い。
窓から透き通った光が差し込み、小さな鳥が一羽、また一羽と戯れ飛んでいく。
静まり返る書斎。
部屋の中央には椅子に座るシャッフル王女と、その後ろに立つエリーナの姿がある。
書棚近くで佇む領主が見守る中で、今まさに忘却の魔術が施されようとしていた。

エリーナ
エリーナ

どうしよう……
全くと言っていい程集中できない……

注ぎ込む光、思考を邪魔する鳥の声。そしてこれまでの人生で幾度となく苦しめられてきた『期待』という圧力が領主の全身から感じられた。

エリーナ
エリーナ

これだから嫌なんだ……
頼むから、私に期待をしないでくれ……
もし失敗したら……私は……

震えだした手を必死で抑え、静かに深呼吸をし平静を取り戻す。

エリーナ
エリーナ

忘却の魔術……。
以前あの館で、辛い記憶の話をした時にその魔術原理を聞いたことがある。
……だけどあの時は、皆冗談交じりに私をからかいながら話すものだから、正直深くまでは理解できなかった

エリーナは考えながら部屋を見渡し、暖炉の上の花瓶に目を留め近づいた。
水の重さを両手で支え、そっと静かに抱えこむ。

エリーナ
エリーナ

でも、やるしかない。私がやらないと、いけないんだ

元居た位置に戻った時、状況が全く呑み込めないシャッフル王女が姿勢をそのままに声を出した。

シャッフル王女
シャッフル王女

あの……
一体これから、何が始まるというのでしょう?

エリーナ
エリーナ

え……?
えっと……領主様からは何も?

シャッフル王女
シャッフル王女

はい。
ただ、エリーナさんが手品を披露して下さると……

エリーナ
エリーナ

……は?

すぐさま領主に視線を送る。
そこには腕を組み咳払いをする領主の姿があった。
何か言いたそうなエリーナを一瞥し、「はやくやれ」と言わんばかりにエリーナの視線をはねのける。

シャッフル王女
シャッフル王女

あの……エリーナさん?

エリーナ
エリーナ

……はい。手品です。
……それではシャッフル王女。静かに目を閉じて、私の言う景色を思い描いて下さい

シャッフル王女
シャッフル王女

ええ

エリーナ
エリーナ

それでは……始めます……

静まり返る書斎。
空気の重さを悟ったように、厚い雲が太陽の光を遮断した。
鳥の声は消え、風の流れさえも止まってしまったと錯覚するほどに、周囲の何もかもが停止する。
エリーナは眼下の美しい金髪を見つめながら、未だ鋭利な言葉の欠片を、シャッフル王女の内側に落としていった。

エリーナ
エリーナ

貴女の中には牢がある。冷たく暗い、石の牢……。
牢の中には一人の女神。白い薄絹。金の髪……。

シャッフル王女
シャッフル王女

……お母様……?

エリーナ
エリーナ

鋼鉄の悪魔は覚えているか?
悪魔によって女神は墜とされ、貴女を言葉で貫いた。

王妃
王妃

『汚らわしい娘!消えておしまいなさい!』

シャッフル王女
シャッフル王女

いや!!

エリーナ
エリーナ

その女神は偽物だ。
その牢から出られぬよう、すぐに鍵を掛けるのだ。

王妃
王妃

『ディア……ディア……』

シャッフル王女
シャッフル王女

お母様……わたくしは……どうすれば……

エリーナ
エリーナ

悪魔を生み出すは東の倭国。
女神が眠るは土の中。
百合と共に眠る女神は、二度とその目を開けはしない。

シャッフル王女
シャッフル王女

そんな!いや!……お母様ぁ……!

エリーナ
エリーナ

誰が作った、この現実を。
誰が壊した、幸せな未来を。
こんなこと絶対にあり得ない。
貴女は既に気付いた筈だ。
今生きているこの世界が、全て夢であることを。

シャッフル王女
シャッフル王女

ゆ……め……?

エリーナ
エリーナ

この夢から覚めたいか?
この夢を全て壊したいか?
ならば強く願うのだ。
貴女の辛い記憶を全て、私が粉々に砕いてやる!

シャッフル王女
シャッフル王女

どうか悪夢よ、消え去って……!

エリーナ
エリーナ

祈りよ届け!!
その心の深層へ!!

瞬間、エリーナは持っていたガラスの花瓶を勢いよく床に叩きつける。
凄まじい衝撃音と破壊音に、シャッフル王女は身体を弾き、驚き目を見開いた。
飛び散った花瓶の最後の欠片が音を消し再び静寂を生み出した時、シャッフル王女は静かに振り向き、エリーナに向かい微笑んだ。

シャッフル王女
シャッフル王女

……あらエリーナさん。ごきげんよう……

その頬は涙で濡れていた。
だが今言葉を掛けたのは紛れもなく、全てを忘れたシャッフル王女だった。
以前と変わらぬ笑顔を向けられ、エリーナは複雑な表情で押し黙る。

シャッフル王女
シャッフル王女

まあ!これは一体……

自らの足元。粉々に砕かれた花瓶の残骸とびしょ濡れの床を確認すると、すぐに立ち上がり居場所を変えた。

エリーナ
エリーナ

も、申し訳ございません……。
花瓶を……割ってしまいました……

シャッフル王女
シャッフル王女

まあまあ。それは大変です。
お怪我はございませんこと?

エリーナ
エリーナ

はい。すぐに片付けます

シャッフル王女
シャッフル王女

いいえ、貴女は片付ける場所をご存知ないのでしょう。
すぐに侍女たちをお呼び致します。
わたくしはタオルをお持ちしますね

そう言って、書斎に備え付けてあったベルをチリンと鳴らす。
侍女へ音の合図を送った後、足元を濡らしてしまったエリーナの為に自室へタオルを取りに向かった。
スタスタと書斎を後にするシャッフル王女を、誰も止めることなく静かに見送る。
そして足音が聞こえなくなった頃、今まで無言を貫き通してきた領主が小さく笑い、書棚近くから空席の椅子近くまで歩み寄った。

領主
領主

どうやら、無事忘却の魔術は成功したようだな

エリーナ
エリーナ

さあ……どうでしょうか……

領主
領主

随分とまあ強引で乱暴な魔術ではあったが、時間稼ぎには十分であろう

エリーナ
エリーナ

勝手なことを言う……。
しかし、その通りです。
その人の深層に眠る、本当の意志へと導くのが魔術の本来のあり方です。
今の私では、単なる催眠術と変わらない……

領主
領主

また始まりおった……。
自己への評価を低く見積もるでない。
程度はどうあれ、貴下はしっかりと目的を果たした。
……感謝する

エリーナ
エリーナ

……はい

書斎を後にする領主の背中を見送って、エリーナは静かに俯いた。
悲惨な状態の床を眺めながら、これから自分はどうあるべきか、思考の沼に呑まれて行った。






ディアヒストリー26 終了