柔らかな朝日が、白いブロケードのカーテンの隙間から部屋の中へ注ぎ込みます。
こんなに素晴らしい朝だというのに、私の身体はまるで鉛のヴェールを纏っているかのようで、レースと刺繍で飾られた美しいベットの天蓋を見つめたまま起き上がる事すら叶いません。
お父様が不在の今、わたくしが何とかしなければ
そう意志を固めたのと同時に、コンコンと扉をノックする音が響きます。
その聞きなれた軽快な音を合図に、鉛のヴェールは瞬く間に消え去り、自然と身体が起き上がりました。
お入りになって
小さく軋む音をたてて、バロック調に装飾された華美な扉が開かれます。
すると黒を基調としたベロア風のワンピースに真っ白なフリルエプロンを纏った当家の侍女が、優しい笑顔でスタスタと入室してきました。
お目覚めですか殿下
ええ。いつもありがとう
変わらぬやり取りに少し安堵し、窓を開ける侍女の姿を目で追います。
これが私の朝の始まり。
いつものように手早く身だしなみを整えながら、鏡台の前に座ります。
柔らかな手つきで髪を梳かしてくれる侍女は、私の心境を察しているのでしょう。
いつもと同じ質問ながら、少々声色を落とした笑顔で問いかけました。
殿下。本日はいかがお過ごしに?
‥‥‥昨日の騒ぎ、なんとか解決へと導かねばなりません。
朝食を済ませたらすぐに領主の書斎へ行き、民からの意見書に目を通します。
貴女はエリーナさんを探して、正午までに書斎へ来るようお伝えになって
かしこまりました
侍女が身支度の世話を終え退出したのち、私も部屋を移動します。
ダイニングルームでの朝食を手早く済ませ、すぐさま書斎へと向かいました。
◇
書斎にて。
昨日回収した意見書に目を通すこと数時間。
ノックと共に問題の元凶であるエリーナさんが入室してきました。
本来は領主が座しているべき書斎机に私がいることはもはや珍しい事ではなく、入って正面、窓を背に座る私の前に少し距離を開けて停止すると、少しめんどくさそうな様子で口を開きました。
お呼びでしょうか
ええ。よく来てくださいました。
エリーナさん、こちらの意見書の山、ご存知ですこと?
さあ、存じ上げませんが
顔色一つ変えず、いつもの様子で他人事……。
本当に存じ上げないようですので、少しの間を置き私から口を開きました。
では、読んで差し上げましょう
『得意先でうっかり話し込んでしまった時、この場所に5分以上荷車を放置することは法律違反だと言って商品ごと没収された。返してくれ』
却下です。
5分以上も話し込むなど職務怠慢。
更にその道は狭く荷車の放置は認められていません。
私は速やかに撤去したまで
『夜道で魔獣を見たとの報があったので警護をお願いしたら断られた。酷い』
当たり前です。
護衛は私の任ではありません。
護衛が欲しくば兵を雇う事だ
『露店で客におまけをしてやったら差別するなとすごまれた。人でなし』
何を言うか彼奴!
同等の金額を払っているのに一人だけ特別扱いするなど差別以外の何者でもない。
その客へのひいきを止めるか、他の客にも平等にサービスして然るべきだ
まっすぐな瞳で答えを述べるエリーナさんには一点の曇りもありません。
これ以上何を言っても無駄と察し、意見書の読み上げを止め話題を転換してみます。
左様でございますか。
では牢についてはご存知かしら?
なんのことでしょう
あの牢は本来、重罪を犯した者が入るべき場所。
話を聞けば、家賃の未納や薬の窃盗、スリや空き巣で貴女に捕えられたようですが―――
罪は罪です。
重罪を犯す前に、悪へとつながる種は摘み取っておかねばなりません。
一度罪を犯した者は必ず同じ罪を犯します。だから投獄しているのです。
‥‥‥取り返しのつかない事になる前に
私の言葉を遮り言い放つエリーナさんは、伏し目がちに言葉を締めました。
何故ここまで頑ななのでしょうか。何か譲れない信念をお持ちなのか、それともただの石頭なだけなのか。しかしどこか、意地になっているような気も感じられます。
しばしの沈黙を経て、このまま改善を促したところで話は平行線を辿るだけだと問答を諦め、私は一つの命を下します。
全員釈放なさい
出来ません
何故、わたくしの命を聞けないのでしょう
それは、私は異端審問官として、間違ったことはしていないからです
しばし睨み合った数秒後、エリーナさんは無言で部屋を出て行ってしまいました。
乱暴に閉められたドアの音が残響し、私は小さく肩を落とします。
気持ちでは、今すぐ牢に閉じ込められた無実、あるいは些細な罪の者達を解放して差し上げたい。ですが牢に関する権限は、領主と、その領主より任を受けているエリーナさんのみに与えられている為、私の独断で牢の鍵を開けることは許されないのです。
エリーナさんの説得が不可能とあれば、残る希望はお父様
こうして私は、領主宛の[解放嘆願書]を、投獄されている200名分、自らの手で書くことを決めたのでした。
ディアヒストリー4 終