悩む兵士と近衛兵

(ううむ……。)  

 扉の前で1人の青年が佇む。リフルシャッフル侯国の兵士として入隊したばかりのその青年は、銀色の甲冑を身に纏い、兜を被った姿からは想像がつかない。しかしその落ち着かない様子から、深く悩んでいるように見えた。

(領主様は何をお考えなのか……?)  

 彼の悩みの種は明白である。この小さな国を治める領主、シャフル1世に対してである。  

 シャフル1世は、何故かふらりと姿を消す事が多い
——————という点は、リフルシャッフル国内の兵士達の間では専らの噂であった。  

 領主様は多忙のため騎士団長であるフリーデマンや、副長のドメニコに領主の所在を尋ねるも、あからさまに話題を逸らされ、すぐに何処かに行ってしまう。どうやら何かを隠している様だが。

(兵士達にも明かせない用事とは何なのだろう?)

ふと、青年の脳裏にある考えが過ぎる。

(いっその事———シャフル王女に尋ね……)

 そこまで考えて、思考を中断する。
不敬であるためである。

(一体、領主様は何用で出掛けられるのだろうか?)  

 青年の疑問は尽きない。ふと頭上を見上げ、照りつける太陽に目をやった。時刻は昼前、このまま昼時になれば領主様は食事に行かれるだろう。そうなれば探る機会はいつになるか分からない。

(全く……これは私の権限で伺える事では無いだろうに。)  

 今度は脳裏に異端審問官の顔が過った。彼はエリーナから直々に領主が姿を消す理由を探れと言われたのだ。平の一兵士である青年に向かってである。本来ならば彼の仕事では無い事は明白である。しかも一兵士に過ぎない青年が領主に対して聞くことでは無い。では何故、異端審問官殿は自分にそんな大役を命じたのか。頭の中で堂々巡りになるばかりであった。

(悩んでいても仕方ないか……。)  

 青年は深呼吸をすると、意を決し領主の扉をコンコンとノックをした。

「領主様、入ります。」

『入りたまえ。』  

 青年は領主に促され、書斎へと入る。
書斎の中は丁寧に整頓されていたが、同時に、散乱している箇所もあった。彼にとっては、その部屋の様子は捉え所のない領主の性格を表している様に思えた。青年は領主が座る椅子の前に進み、領主と対峙する。

『……何用か。』  

 領主の声は優しく、そして威厳に満ちていた。聞くものの声を安心させる様な声色の裏には、それ以上を踏み込ませまいとする拒絶の意思を感じた。

(何という迫力……。迂闊な事は聞けないな。)  

 青年は領主の瞳を真っ直ぐ見つめながら、どう話を切り出すか悩んだ。青年はこの小さな国の一兵士である。そしてその小さな国の領主に命を預けなければならない。だからこそ、普段の領主が何をしているのかに関心があった。青年は深呼吸をし、領主に言い放った。

「領主様……単刀直入に伺います。領主様は普段、何処に行かれておられますか?」  

 単刀直入。小細工など通じないだろうし、何より領主は小細工など好まないだろうと見越して、青年は素直に疑問をぶつける。青年の言葉に領主は一瞬眉をひそめたが、すぐに普段の穏やかな表情に戻った。

『ふむ……何処に行っているのか。と来たか。その疑問に答える必要があるのか?私は質問をされるのが大嫌いなのだよ。一兵士の好奇心を満たすために時間を割いている暇は無いのだが?」  

 領主は青年の表情を観察するかの様に見つめた。青年は、まるで自分の心の中を覗かれているように感じたのか、落ち着かなさそうに領主から顔を背ける。

『そもそもそんな事を誰に頼まれ……いや、分かった。エリーナの差金だな。全く、また私を疑いおって……。』  

 領主は青年に質問されるや否や、瞬く間に思考を巡らせ、あまつさえ異端審問官の事まで当てられてしまった。何という洞察力だろうか。

「……はい。」  

 青年も素直に答えるしか無かった。

『やはりな……。分かった、貴公に非は無い。エリーナには私から伝えておこう。』

「承知しました。」

 青年は、領主からの無言の圧力を感じ大人しく引き下がった。異端審問官からは責められるだろうが、領主に目論みがバレている以上、情報は引き出せないだろう。青年は踵を返し、退室する。

♢ ♢ ♢

「ふぅー……。つ、疲れた。」  

 青年は庭にある椅子に腰掛ける。領主と話した時間は数分だが、予想以上に体力と気力を消耗していた。領主の洞察力が人並み以上である事は理解出来た。

(異端審問官殿には叱られるだろうな。)

 青年は異端審問官にどう報告するべきか頭の中で思い悩むが、考えても仕方ない事だった。

「午後の仕事が終わったら、市場にでも寄るかな……。」  

青年は独り言を呟くと、椅子から立ち上がる。午後には鍛錬と、作成しなければならない報告書がどっさりと待っているのだ。