全く……。
どこまでも平和なお方だな。シャッフル王女は
薔薇園の迷路を抜けつつ、私はそんなことを考えていた。
普通、囚人と散歩に出かけたらどうかなんて提案あり得ない。
あり得なさ過ぎて、呆れて思わず笑ってしまった。
しかし。
それで本当に答えが見えるのならば、やってみるしかない
私はその足でまっすぐ、囚人達がいる牢へと向かった。
◇
まずは一人目。
私は一人の罪人を連れ外へ出た。
どこに連れ出そうか迷ったが、流石に『未開の森』では危険が伴う。
森というより林に近いが、城の近くに木々が生い茂る場所があったことを思い出し、そこを散策ルートに設定した。
いくらシャッフル王女の提案とはいえ、罪人を外に連れ出すなど危険以外の何者でもない。
私は絶対に逃げられないよう、罪人の両手首に鎖手錠を掛け、自分の左手首に嵌めた鉄輪と繋いだ。
両手首を前に拘束された状態で歩く罪人は酷く不機嫌そうで、しびれを切らしたのか遂にあのデカい声で騒ぎ出した。
おい!一体どこに連れてく気だ!?
いきなり出ろと言われてついて来てみれば、なんにもねーただの雑木林じゃねーか。
釈放する気になったんじゃねーのかよぉ?ああ!?
図体もデカければ態度もデカイ。そこそこ筋肉も付いている熊のような大男は、牢にいる罪人の中で一番私を嫌っている。
決してひるむことは許されない。歩みを止めず、男の質問を一蹴した。
期待に添えず申し訳ないが、現段階で釈放する気は全くない
チッ…相変わらずムカつく野郎だぜ。
じゃあ一体何を企んでやがる。まさか、ただの散歩だーなんて言うんじゃねーだろーな
……そうだ。ただの散歩だ
………は?
酷く拍子抜けした様子で、男は私を覗き込んだ。
構わず私は歩みを続ける。
アンタ、馬鹿か?
その言葉。言う相手を間違うと侮辱罪にあたるからな
いやいやいや、なんだ、おめー、遂に頭おかしくなったか?
俺が本気になりゃあお前なんて、ちょいと小突けばすぐぶっ飛ぶって、フツーわかるだろ?
逃げられるとか考えねーのか!?
心配には及ばない。
そうならないように、色々と対策はしてきているのでな
フン、生意気なっ……で、なんなんだよ。
言っとくが俺は気がみじけぇんだ。さっさと連れ出した目的を吐きやがれ
薄暗く人の気配が全くない林の小径。
木の葉の擦れる音と小さな鳥の声だけが、風に乗って通り過ぎる。
どのように本題を切り出そうかと悩んでいたのだが、木々の隙間から見える青空が、私の声を引き出してくれた。
話しが、したかったんだ
はあぁ?
男は口を大きく開けたまま、いかがわしい表情で私を覗き込む。
自分らしくないとは、自分でも思う。
この反応は至極当然のことなのだろう。
私は歩みを止めない。歩きながら、前を見据えて言葉を続ける。
知りたいんだ。
何故、罪を犯したのか。何故、私からの食事を拒むのか。何故、私をそこまで嫌うのか
罪を犯した理由だけを聞くつもりだったのに、私の口は何故か余計な質問までも吐き出していた。
……アンタ、本当に馬鹿だろ?
ばかバカ言うな!
私だって、自分が馬鹿なのはもう分かっている。
だが、分からないものは分からないのだから、仕方が、ないではないか……
はぁ……さて、どおすっかなー
呆れたような顔で溜息を吐くと、男は暫く無言になった。
私はその沈黙に耐えられず、つい言葉を溢してしまう。
私はこれまでに2度、大きな過ちを犯している
は?
この地に来る前に1度、そして、この地に来てから1度。
もしかしたら、自分が気付いていないだけで、もっと多くの過ちを犯しているかもしれないのだが
……
突然の独白に驚いているのか、それとも聞く気になったのか。男は黙って歩調を合わせてくれた。
私はただ前だけを見つめ歩き、初めて本心を口にする。
シャッフル王女はこのことを知らない。
私は、もう同じ過ちは犯すまいと異端審問官となったのだが、疑心暗鬼となり、疑わしき者を手当たり次第に捕らえるようになっていた。
半面、自分の判断が間違っているのではと思うと途端に怖くなり、牢に閉じ込めたまま見ないようにしていたんだ
……なるほどな
男もただただ前を見て歩く。
言葉少ないが僅かでも相槌を打ってくれたことに、ほんの少しだが安堵を覚えた。
一度罪を犯した者は必ずまた罪を犯す。一度裏切った者は必ずまた裏切る。
私の根底にはこんな固定概念がある。
しかしこの考えを裏付けていたのは、他でもない私自身だったようだ
どういうこったい
今回の罪人大量投獄の件。
もし私の間違いであるならば、これが3度目の大きな過ちとなるだろう
そう、これが、シャッフル王女には言えなかった、私が法にこだわるもう一つの理由だった。
シャッフル王女と領主様の為ではない、皆を平和へと導く為でもない、自分自身が犯した罪の償いの為に、法にしがみついていた。
罪の重さから逃れるには、自分の弱さを隠すには、法という盾が必要だったからだ。
ふと気付けば、私は自分の事を淡々と話し続けていた。
こんな予定ではなかったのに。
そろそろ戻るとするぞ
そうして踵を返そうとした時、男は立ち止まり何やらぼそぼそと話し始めた。
……金がなかったんだ
なに?
だから、金がなかったんだって。
だから、空き巣に入った。それだけだ
何を今更、そんなことは最初から知っている。
偶然帰宅した住民の叫び声を聞き、私が現行犯で捕らえたのだから
だったら聞くんじゃねーよ、この馬鹿!
いつものように私を罵った後、男はずんずん道を引き返していった。
鎖に引っ張られバランスを崩しそうになったが、何とか横に付き話しを続けた。
……そう、罪状は知っているのだ。
私が知りたいのは、何故、空き巣をしなければならない程、金銭を所持していなかったのかだ。
見れば力も体力もありそうだし口も達者だ。どこかのギルド長を務めていてもおかしくない。なのに何故、仕事をしていないのだ?
そう言うと男は驚いたような顔をして、大きなため息を一つ吐き、渋々といった様子で語りだした。
俺はな、数年前までとある匠ギルドのギルド長だったんだ
え!?ギルド長!?
ああそうだ。主な仕事は大工業。
俺は土属性の魔法が得意でな。
頑丈な家を建てさせたら右に出るものはいねーってくらい、有名人だったんよ
そうして自慢気に胸を張った。心なしか、歩みを進める一歩にも自信がみなぎっている。
しかし自分で言っておいてなんだが、まさか本当にギルド長をしていたなんて、正直かなり驚いた。
そんな名誉な立場にあって、何故……
‥‥‥ある嵐の日、組み立て途中の作業場の様子を見に行ったんだ。
そしたらよ、運悪く足場が崩れてきて、俺の上に落ちてきやがった。
あたりめぇだが、嵐の日に出歩く奴なんていやしねーから、誰にも助け出されないまま、丸一日嵐の中にさらされた
動けない程、木材に埋まってしまったのか?
いや、当たりどころが悪くてな、腰をやっちまった。
動こうにも動けねぇし、痛みで魔法もまともにつかえやしねぇ。
次の日には何とか助け出されたが、俺はこの時の事故のせいで、二度と現場に復帰できない身体になっちまった
しかし、今しっかりと立って歩いているではないか
今はな。
知ってるか?1年以上ギルドでまともに仕事をしなければ、そのギルドにはいられなくなる。
治療に専念した代わりに、俺は職を失ったんだ
しかし、治ったのであれば、復帰すれば……
おうおう、アンタの口がそれを言うかい。
一度抜けたギルドへの再登録は、ここの法では認められていなんだぜ?
そんなっ……
おそらく、不正防止の為の法だろうよ
不正防止?
おうよ。
ギルドに所属すれば、身分証が発行される。
一度にあちこちのギルドに所属して、身分証を何枚も取得したのちとんずらし、身分を隠したい奴に高値で売り飛ばす。
こういうことする輩がいるんだとよ、ここには
転売という事か?
まぁ、一応自分の身分証を売ってんだから、転売と呼べるかどうかは知らねーけどよ。
どこの馬の骨とも知らん奴が、自分とこのギルド名乗って悪さでもしてみろ。そのギルドの名に傷がつく。
まっとうなギルドにとっちゃあ迷惑以外のなにもんでもねぇ
確かに、その通りだ
そんで不正防止の為に、活動実績が1年以上確認できない奴は除籍処分。更に再登録禁止っていう縛りがあんじゃねーかな。
で、俺は見事にそれに引っかかったって訳だ
……
もちろん、仲間はそんな法なんて気にせず、また一緒にやろうって言ってくれたさ。
だがよぉ、既に新しいギルド長がいる中で、俺が戻ったらやりずれーだろ?
男は寂し気な表情で、ほんの少し視線を落とした。
その一歩には既に先程のような力強さはない。
乾いた土を踏む力無い足音を聞きながら、私はその状況を想像する
だから断って、違うギルドへくら替えしたんだが、この性格だからな……。
つい怒鳴って喧嘩して追い出されたり、土属性以外の魔法がてんでダメなもんで、なかなか新しい仕事にありつけねぇ
……理解した
そして気付いたら、身分証の有効期限である2年が過ぎた。
これがどういう意味か、お前にわかるかい?
いや……
身分証を更新できないまま2年が過ぎると、法の中じゃあ、俺はこの領地にいねーことになる。
つまり今後なんの保障も受けられず、不法滞在って扱いにされるんだよ
それは違う!
その2年とは、違法に身分証を所持するならず者や異国の難民に対処するために設定された期限のはず。
今回の例には当てはまらない!
実際の法の目的はどうであれ、俺はその法に絡めとられ、身動きが取れなくなっちまった。
金も尽きいよいよ、空き巣に入るしかなくなったって訳だ。
幸か不幸か、建物の構造は良く知っているからな。全く、笑っちまうよ……
そう言って男は鼻で笑った。
‥‥‥知らなかった。
どの法も、本来不正を防ぐために設けられた決め事だ。
それが逆に、人々の自由を奪う結果になっていたなんて。
シャッフル王女は、法には強制力はないと言っていた。
その証拠に私程、厳重に不正を取り締まっていた兵はいなかった筈だ。
そこまで律義に、法に従わなくても良かったのではないか?
そんなこと言ったってよ、身分証がなきゃあ自分の証明ができねぇ。
俺がいくらいい奴でも、相手にとっちゃあ不審者だ。
信用ってのは、そう簡単に得られねぇんだ
信用、か……
ま、今思えばお前さんの言ってた通り、自己責任なのかもしれねぇな。
他のギルドにくら替えした時、素直に頭を下げてりゃあ良かったんだ。
なのに、俺のプライドがな、邪魔したんだ
木々が減り、次第に視界が開けてきた。
そろそろタイムリミットだ。
話せて良かった。礼を言う
こんなくだらねー話、聞いて何になるんだか
男はやるせなさそうに吐き捨てた。
その口調はまるで、自分自身の行いを悔い、責めているかのようでもあり、また少し、寂しそうでもあった。
くだらなくなんてない
私にとっては、とても貴重な話だった。
きっとこの男も、元々は罪など犯すことを嫌うまっとうな『匠』だったのだろう。
ふと、ここでした最初の会話を思い出した。
そうだ、最後に
一瞬歩みを止め男に対峙する。
確か記録では……名をオイゼビウスといったな
いや、俺は長ったらしいのは嫌いでな。オイゼだ
ではオイゼ。
……本気を出さないでいてくれて、ありがとう
は?なんのこった
オイゼはすっとんきょうな声と顔で私を見つめた。
……なんとなく、言いたくなったんだ。
『無意識の優しさ』というものを感じたから。
恐らく本人も、気付いていないのだろうけど。
本気になれば、私なんて簡単にぶっ飛ばせたんだろう?
だから……私を信じてくれて、ありがとう
けっ!誰がお前なんか信じるかよ!早く牢に戻せこの野郎!
もはや聞きなれた罵声だが、いつものような棘がない。
照れ隠しなのか、林を抜け牢へと続く道のりを少し速足気味に歩いていく。
その大きな背中を横目で見ながら、私は黙って続いて歩いた。
しかしまあ、自分から牢に戻りたいと申し出るとは、なんて滑稽な事だろうか
私はバレないように軽く含み笑い、その後望み通り牢に戻した。
◇
2人目の罪人は、まだまだ幼い顔が残る、10歳ほどの少年だ。
犯した罪は市場でのスリや万引きだったな。何故罪を犯したのか、教えてはくれないか
同じ小径を歩きながら少年を覗く。
私の胸元くらいの身長で、少々細身の少年だ。
牢ではずっと大人しくしていたが、静かに睨まれていたのを覚えている。
知らねー
少年は僅かに口をとがらせそっぽを向いた。
知らないわけがないだろう。自分の事だ
別にどーでもいーだろー。
金持ってるやつから金とって何が悪いんだよ
悪いに決まってるだろ。
皆生きる為に、懸命に稼いでいるのだから
決まってる。ねー。
それ、誰が決めたんだよ。アンタ?
いや……それが常識というもので……
だから、その常識は誰が決めたんだよ
誰って……それは……
……なんだ、どうしてこうなるんだ。
私が質問していたはずなのに、何故私が問い詰められる。
軽くパニックを起こしながらも、改めて少年の質問の意味を考えてみた。
常識は誰が決めた?誰という事はない、自然に生まれるものではないのか?そういえば常識と法は、同一視してよいものなのか、はたまた似て非なるものなのか。そもそも善悪とは、何を基準に判断するのだ?恐らく常識を基準に判断し、法で裁くというのが正しい筈。いや、しかしシャッフル王女は法には強制力がないと言っていた…うーむ
難しい顔をしながら無言になってしまった私を、少年は物珍しそうに覗き込んだ。
え、もしかしてアンタ、真面目に考えてんの?
当たり前だろう!
質問されたのだから、ちゃんとした答えを見つけなければ……
馬っ鹿じゃねーの!
答えのない事いつまでも考えるとか時間の無駄じゃん!
馬鹿ではない!!
……いや、確かに馬鹿だが、断じて馬鹿ではない!!
当たり前とか、決まってるとか、そういうこと言う奴は何も考えてない馬鹿って決まってんだよ
お前だって今決まってるって言ったではないか!!
俺はいいんだよ!俺、頭いいから!
ああもう……。
なんて憎たらしい少年だ。完全になめられてる。
覚えていろ……鞭打ちの刑にしてやる
そうして睨みまくっていると、急に少年がうずくまった。
どうした?
うう……おねーさん。
なんだかお腹痛くなっちゃった
大丈夫か?ちょっと待て、今薬を……
その瞬間。
私のコートが勢いよくなびいた。
スカート部分がばさりと捲られたかと思うとすぐ、コートの下、右の腰元に下げていた鍵の束がジャラリと鳴り、僅だが重さが掛かった
……その時。
いってぇぇええ!!
シュンという音と共に、少年が土の上に転がりのたうち回る。
何だよこれ!!手がっ!!
どうやらこの少年は、私が持っている鍵を盗もうとしたらしい。
ああ、この鍵の束には、私以外の者が触れたら手を切り落とすよう風の魔法を掛けてあるのだ。
……シルフィーザ
腰元から外した鍵の束に手をかざし、魔法の言葉を呟いた。
次は更なる痛みが走るように。
なんだよその恐ろしい魔法はっ!
安心しろ。冗談だ。
流石に切り落ちてはいないだろう
言いながら少年の鎖手錠を持ち上げる。
見ると右の手の甲に一本の傷が走り、細く血が染み出ていた。
余程痛かったのか、少年の目には涙が浮かんでおり、僅かに罪悪感が胸を突く。
いざという時の為にと、自分用に持ってきていた包帯を取り出し、簡単な応急処置を施した。
あ、ありがと……
これに懲りたら、もう私から鍵を盗もうなどと考えないことだ
わ、わかったよ……
少年は立ち上がり、すすんで歩き始めた。
あのさ、もしかしてあの牢にも、何か魔法掛けてあるのか?
もちろんだ。
罪人が魔法を使って鉄格子を壊そうものなら、そのものを焼き尽くすよう火の魔法を。
鉄格子をすり抜け石扉に手を掛けようものなら、全ての体温を奪うよう水の魔法を掛けている。
しかしまあ、皆大人しいものだな。何故誰も脱獄しようとしないのだ?
うっわ……。最悪。
……冗談でしょ?
さあ。どうだろうな
私は表情を変えず淡々と答える。
暫く無言で歩いたが、ふと疑問が浮かんできたので構わず口にすることにした。
しかし、どうしてお前の親は解放嘆願書を提出しに来ないのだ?
まだ保護下の身分の筈なのだから、それさえあれば解放されるのに……
そういうと少年は酷く表情を曇らせ、口をとがらせて回答する。
知らねー
またそれか。
そろそろ真面目に答えたらどうだ
だから、本当に知らねーんだって。
俺の親は、最初からいねーんだよ
予想外の回答に私は驚く。
私の表情を確認し前を向き直した少年は、真っ直ぐ、遥か遠くを見つめながら、ただひたすらに歩き続けている。
その横顔はいささか子供とは思えない程大人びて見え、後に真剣な顔で話し始めた。
俺にはさ、貴族の血が流れてるんだってさ
貴族?
……って言う奴もいれば、ならず者の穢れた血が流れてるっていう奴もいる
?
詳しくは、ホントに知らねー。
まあ一応、7歳くらいまでは母さんがいた。
だけど、俺を置いてどこかに消えた。
家に大量の食糧と……大量の本を残して
そんな……
知ってる?
18歳未満の子供は『出生管理ギルドへの登録書』が自分の身分証明書になるんだ
もちろん知ってるが……
俺はさ、何故か出生管理ギルドへ登録されていなかったんだよ
まさか、そんなことが……
誰か、誰かお前を引き取ろうとする者はいなかったのか?
いない。
もともと母さんは誰とも交流しない人だったし、変な噂のせいで誰も俺に近づかない。
いくら家に大量の食糧があったって、1年もしたら底をついたし、本も全部読み尽くして……
いよいよ俺は、外に出ざるを得なくなった
教会は行ったのか?
孤児ならば、教会に相談すれば身元を保証してくれる筈
そんなの絶対に嫌だね!
俺は神様なんてこれっぽっちも信じていない。
あんなとこ、二度と行くか!
既に行ったことがあるのか、少年ははっきりと断った。
急に不機嫌そうな顔になるのを見て、やはりまだ子供なのだと内心僅かに気を緩める。
そうか。まあ、私も神様なんて信じていないから、同じだな
そう、なのか?
……もしかしてアンタも、捨てられたとか?
いや、全くの逆だ。
私は両親に、沢山の愛情を注いでもらったと思っている。しかしその愛情は、無知が育んだ呪いだと気づいた。
神を信じた故に、私は過ちに気づかず地に落ちた。結局死の淵から私を救ってくれたのは、神様ではなく一人の人間だったんだ
……よくわからないけど、なんとなく、わかる
少年も誰かに助けられた経験があるのか、私の話を素直に受け入れた。
話しが丁度途切れたところで、一度止まって道を引き返す。
暫く無言が続いたが、少年が静かに口を開いた。
何も食べないと、お腹がすく。食べ物を買うには、お金がいる。
ギルドへ登録できるのは19歳からだから、後9年は働くことも出来ないし、出生登録書がないから、何の保障も受けられない
少年は私の前に一歩踏み出し、訴えるように問いかけた。
ねえ。俺は確かにここに生きているのに、どうしていないことにされるんだ?
……
すぐに応えてあげたかった。けれども、なんと言葉を返していいか分からなかった。
身分を証明するたった紙切れ一枚のせいで、人の人生が暗闇へと落ちていく。
そんなの絶対、間違っている。
常識から外れた奴は、死ねってことだよな。これでもアンタは、俺に盗みはするなって言うのかよ。
悪いけど、例え解放されたって、俺は生きる為にまた盗む。次は二度と、捕まらんねーから
そういうと少年は、しっかりとした足取りで歩き始めた。
引かれるように足を進める。これではまるで、私が連行されているかのようだ。
わざとらしく鎖を鳴らして、無理やり引かれる手錠越しの手。
私には、どうすることも出来ないのだろうか
この少年は、囚人記録にも名前が載っていなかった。
恐らく、知らないといって答えなかったからだろう。
このままでは、ダメだ。知りたい。知っておかねばならない。
せめて、せめてこの少年の名前だけでも……
きっとは私は、何か一つでも、この少年との繋がりを持っていたかったのかもしれない。
答えてくれないかもしれないが、答えてくれることを願って、口を開いた。
分かった……。
もうこれ以上何も話さない。
ただ最後に、一つだけ教えてくれないか?
返事はない。変わらぬ強さで引かれる鎖を目で追いながら、私は構わず言葉を続けた。
名前が知りたいんだ。お前の、名を……
次第に小さくなる鎖の音。息を呑んで返事を待つ。
数分にも感じられる数秒の間。ためらっているのか、もしや本当に名前を知らないのか。今の段階では分からない。
が、少年はしばらく黙り込み、風が私たちの間をかすめた刹那、小さな声で呟いた。
……ヨハン
……ヨハンだな。覚えておく
約束したから、これ以上何も話さない。
無言のまま、木々の隙間の青空を見上げる。
まだ2人目だというのに、私の頭はもういっぱいだった。
知らないことが多すぎた。見えていなかった現実がいくつもあった。
だがこの名前だけは決して忘れぬよう、頭の中で何度も唱える。
そうしてそのまま並んで歩き、何も語らず牢へと戻した。
◇
今日はこれで最後にしよう。
三人目。
私はあの時の少女を呼び出した。
あの……こんな所に連れ出して、私をどうするつもりなんですか……?
怯えたように質問するこの少女、いや、少女に見える若い女は、私より少し年下となる25歳。
年齢の割にはやけに小柄で、今にも折れてしまいそうなほど四肢が細い。
白く粗末なワンピースを着ているのだが、それはもう土と埃まみれで薄汚れていた。
どうするつもりもない。ただ、話しをしてみたくなったんだ
話し、ですか?
そうだ。
確か、薬を盗んだ奴だと医療ギルドから身柄を預かった筈。
それは本当か?
……取り調べですか?
いや、別にそういうつもりではないのだが……
まあ、そういう事にもなるだろうか
本当のことを言ったら、私、処刑されるんですか?
まあ、内容次第では……
じゃあ!本当のことを言いますから、是非処刑して下さい!
は?
女は私の前に立ちはだかり、期待と緊張の入り混じった表情で懇願してきた。
そして私の返事を待つまでもなく、ゆっくり歩きだし話し始めた。
私、死にたかったんです。だから、薬を盗んだんです
死にたかったって、何故……?
死んで自由になりたかったんです
だから、何故?
そんなの私にだって分かりません!もう何もかもが嫌なんです!!もう早く私を殺して下さい!!
急に怒りだした女に驚き、つい足を止めてしまう。
よく見るとその左手首には、無数の不自然な傷が入っていた。
これは、なんというか、話題を変えた方が良さそうだ。
半ば強引に一歩を踏み出し、私は新たな質問をする。
盗んだ薬は確か、スリープシードという錠剤50粒だな。
これを盗んで、どうやって死ぬつもりだったんだ?
一気に飲めば、死ねるって聞いたから。
薬屋さんで買おうとしても、私には売ってくれなくて
‥‥‥だから盗んだんです
一気に飲めばって……
悪いが、どんなに飲んだって死ぬのは無理だ
え?
どの薬にも致死量というものはあるが、スリープシードの場合、最低でも5000粒は飲まないと死ねない筈だ
ご、5000粒!?
一体誰からの情報だ。
その情報は、間違ってはいないが不的確だ
そんなぁ……
女はがっくりと肩を落とし、俯きながら黙って歩く。
このままでは話しが続かないので、懲りずに新たな質問を投げかける。
そういえば、食事をいつも残していたな。
体調でも悪いのか?
すぐに返答がなかったので無視されたかと思ったが、めんどくさいと言わんばかりに、ついにその重い口が開かれた。
食欲が無かったの。
普段からそう。うちの家系は全員虚弱体質で魔法も弱くて、誰一人ギルドに所属できない。
だから医療ギルドからの口添えで、支援ギルドから毎月生活に必要な最低限のお金を貰いながら生活していたのだけど、そのお金も薬代ですぐになくなって……はぁ
それは、難儀な……
毎日毎日、家族の看病。私だって、体力ないのに。一番元気だからって、何でもかんでも押し付けられる。
遊びに行きたいけど、支援ギルドからのお金は生活費にしか使えないし、働きたくても、家を空けるわけにはいかないし
……
毎日毎日、同じ毎日。辛くて、苦しくて、もう何もかもが嫌。
私には自由なんてないの。きっとこのまま、一つの恋もできずに一生を終えるんだわ……
ひとしきり話し終えると、ふと私の方を振り返りこういった。
私が捕まって約一ヶ月。
きっと今頃、家族全員野垂れ死んでいるかもね。
ふふ。そうなったら、私はいよいよ自由の身かしら?
貴女に感謝しなくてはね!
私の心臓がドクンと鳴った。
私は、この女の家族を殺してしまったのか……?
冷ややかな笑みで私を見るその目には、何の光も見当たらない。
血の気の引いた私の表情を見て満足したのか、女は再び言葉を続ける。
なんてね……。
きっと自力で何とかしてる筈。
だってあの人たち、動こうと思えば動けるんですもの‥‥‥
その言葉を聞いて安堵する。
意図せず私は、人を殺してしまうところだった。
ここでもやはり、自分のこれまでの行為を悔やむ。
見えないところで、こうやって繋がっている人たちがいるのだ。
私はそれを蔑ろにしてしまった。
だいたいの事情は把握できた。
だがいくつか疑問に思うことがある
‥‥‥なんですか?
家族以外で、頼れる友人や知人はいなかったのか?
……いるにはいますけど、自分の家族の事だもの。私がやらなくちゃ……。
それに看病を頼むなんて迷惑よ。間違っても口にできないわ
では、医療ギルドや支援ギルドに、人員派遣や支援金増額の相談をしたことはあるのか?
そんなの言えません。きっと無理でしょうし……。
迷惑に決まってます
先程の話から、一ヶ月放置しても生きていけるだけの最低限の生活能力があると知っていたのだろう?
簡単な仕事を単発で割り振ってくれる『雑用ギルド』が数年前に出来たと聞いているが、行ったことは?
なんですかそれ!?初めて聞きました
基礎の魔法が弱いのであれば、妖精や魔獣、魔法石の力を借りれば多少の補強は出来る筈。
何か対策はしているのか?
い、いえ……。
妖精や魔獣を探す時間もないし、天然の魔法石だってなかなか見つからないだろうし、買うと絶対高いだろうし……
正直、妖精とか魔獣って、扱いがよく分からないし……
死にたくなるほど困っていたのならば、一度城へ相談に来ればよかったんだ。
シャッフル王女も領主様も、きっと知恵をくれただろうに
だってここの領主様って、『金が無い』が口癖の超貧乏貴族なんですよね?
みんな『マルキ・ド・ケチ』って言って、不平不満を溢していました。
そんな人の所に行っても、私なんて絶対に相手にしてもらえませんよ
ああそうか。この女が何故こうも不自由なのか‥‥‥なんとなく分かった気がする
我が領主様を馬鹿にするとは大変遺憾だが、心当たりがあるのでとりあえずスルーする。
考えながら一度立ち止まり、帰り道へと引き返した。
……牢にいた時、私に『これ以上自由を奪わないで』と叫んだな。
今でも、自由になりたいと思っているか?
もちろんです。だから死んで自由になるんです。
全てのしがらみから解放されて、神のお傍で幸せに暮らすんです
そういって空を見上げ目を輝かせる。
その姿を見て、私は心底憐れだと思った。
考えを改めるんだ。
しがらみを作っているのは、紛れもなくアナタ自身だ
え?
自由への道はいくらでもあった。助けの手が近くにあるのに、どうして素直に掴めないんだ。
行くべき道を見失ったら、歩んでる道が不安なら、素直に助けを求めればよかったんだ
……
女は突然黙り込んだ、そして。
貴女に、何がわかるっていうんですか……
立ち止まり俯きそう呟いたかと思うと、今度は突然私に掴みかかってきた。
よくそんな簡単に言えますね!?
貴女には、私がどんなに苦しかったか、どんなに辛い思いをしてきたかわからないでしょう!?ねえ!?
そして鎖手錠をじゃらじゃらと振りまわし、叫ぶ。
もういい加減にしてよ!!早くこの手錠外して!!
結局誰も、私の気持ちなんてわかってくれないんだからあああ!!
激しく引かれる鎖につられ、私の左手も勢いよく揺れる。
鉄輪が食い込む痛みを受け入れながら、女が落ち着くまで耐え続けた。
……アナタの気持ちは、誰にもわからない。
その証拠にアナタも、私の気持ちがわからないだろう?
は?そんなの分かる訳ないじゃない!
っていうか分かりたくもないわ!
振りまわす手に勢いがなくなったところで、改めて目を見て提案する。
では、言葉にしてアナタに伝える。
だから少し、聞いてくれないか?
え?
そうして一歩ずつ、とてもゆっくり、歩き出した。
私もかつて、死に焦がれたことがあったんだ
……
女は黙ってついてくる。
何もかもに絶望し、死の世界に恋焦がれた。私は何のために生まれてきたのか、分からなくなってしまったんだ。
生きている意味を見出せず、帰る場所さえ見失った。この世界に生きる無意味さにただただ絶望し、死にたくて死にたくて仕方がなかった。
‥‥‥だが、私はついに死ねなかった……
……何故?
女は俯いたまま呟いた。
……呪われていたからだよ
の、ろい??
予想外の言葉だったのか、たどたどしく女は復唱した。
私には『理想』と『期待』という呪いがかけられていたんだ。
呪った犯人は分かっている、が、本人たちは、呪いを掛けた事すら気付いていないのだろうな。さながら無自覚の魔術師だ……。
私自身、呪われていたことに、この地に来るまで気が付かなかった……。そのくらい強力な呪いなんだ
……意味が分からないわ
私はこの呪いのせいで、死ぬことすらできなかった。
私が死ねば、皆の期待を裏切ってしまう。そしてきっと、迷惑をかけてしまうだろう、とな
そういうことね……
こうして私は、生き地獄に閉じ込められたんだ
過去を振り返り、私は語る。
今だから語れる、今の私へと至る道。
女は黙って、何かを考えているようだった。
そしてもう一つ。
幸いなことに、私には死ぬチャンスが訪れなかった
死ぬチャンス?
ああ。
私の知る限りでは、死神というのは、突然やって来る。
ふいに耳元で囁くんだ。『今なら死ねるよ』と
……
その言葉を何度か聞いたが、運よく、いつもなにかしらの邪魔が入った。
しかし……
私はわずかに声色を落とす。
その時の痛みが、まだ残っているからだ。
ある時ついに、死神に導かれるまま崖の上から身を投げた。
激しい衝撃と共に身体中が痛みに支配された。
美しい夜空を見つめながら、その痛みを全て受け入れようとした時、ふいに私の中にあった本当の気持ちを、悟ったんだ
私は立ち止まり、女の方を見つめその時の気持ちを言葉で聞かせた。
ああ、私は『死にたかった』のではなく、『生きたくなかった』のだと
生きたく、なかった?
そうだ。
無意味にしか思えぬ毎日と、絶望の道しか見えない未来と、そして無価値な自分自身と共に、『今』を生きるのが嫌だった。
ただ、それだけだったんだ
そう。ただそれだけだった。
出口が見えない暗闇。幻だと知った光。
言葉にならない苦しみが、いつしか自我を蝕んでいった。
身体は運よく助けられたが、呪いの完全解呪には未だ及ばない。
呪いの解呪には、『自覚』と『知識』が必要だからだ。
他者から得られるのは助言のみ。
受けた呪いから逃れる術は、呪われた本人の心の中にしかないのだから
よく分かりません……。
教えて下さい。私は一体、どうしたらいいんですか?
女は混乱した様子で私に問うた。
正直、明確な答えはどこにもない。
しかし、もしもこの女が私の例に当てはまるのであればと、解を与える。
辛いと、死神の声しか聞こえなくなる。もしくは、掛けられる声が、死神の声なのか、人間の声なのか、それすら判断するのも難しい。
だからまずやるべきは、自分が今何の呪いを受けているのか、『自覚』する所から始めるのだ
何の呪いを受けているのか……
女は私の方から視線を逸らす。
簡単なようで難しい呪いの自覚。
この女の場合、己自身で、自分を呪っているような気もしているのだが‥‥‥。
沈黙する女に私は続ける。
一人で背負い、噂に惑い、知る事を怠っていては、いつまでたっても前に進めない。
アナタはちゃんと自由になれる。
もしもまだ、死神に抵抗する力があるのならば……
私は女の前に右手を差し出した。
この手を掴め。
私はその『生きたくない』環境を変える方法を知っている
女は戸惑い、私の右手を見つめたまま動かない。
掴まなかったら、どうなるんですか……?
そのまま、元居た環境に返すだけだ。
アナタの望む処刑もなしでな
……
女は葛藤している。
その様子を観察しながら、私はさらに念を押した。
ただ……。この手を掴んだからといって、幸せになれるなんて思わないことだ。
他人は知識は与えられるが、その人の心の全てを満たすことなんて不可能だ。
……アナタの望む幸せは、アナタ自身の手でしか掴めないのだから
……
この手を掴むか、拒むのか。どちらの道にも必ず苦難はある。
それを肝に銘じた上で、アナタの責任で決めるのだ
私は右手を差し伸べたまま、返答を待った。
いつまででも、待つつもりだった。
そしてついに、女は心情を口にした。
貴女は今、幸せですか?
真っ直ぐな瞳で、真剣に。
だから私も、真剣に答える。
私には、幸せの意味が分からない。だが、私の存在で誰かが幸せを感じてくれるのであれば、それが私にとっての幸せになるのではないかと、そうなればよいなと、僅かに期待はしているのだ。
少なくとも、今は辛くて苦しいが、助けてくれた人の名に恥じぬよう、今を精一杯生きたいと、そう思っている
言い終わると、女は静かに視線を落とした。
そして鎖手錠で拘束された両手を持ち上げ、私の右手を両の手のひらで包み込む。
それを確認し、私は出来るだけ優しく声をかけた。
自分自身で自由を縛るな。
もし方法が分からないなら、私ができる限り導いてやる
つい、口を衝いてしまった。
自分でも恥ずかしいくらいの虚勢だった。それにこんな面倒なこと、本来の私の仕事では無いというのに。
偉そうなことを言ってしまったが、私にはこんな台詞を言う資格なんて微塵も無かった。
だって私自身が今の今まで、知ることを怠ってきたのだから。
そんな私の心情など知る由もなく、女は少しずつ心を開いてくれた。
……本当……ですか?
本当だ
でも、絶対、ご迷惑なんじゃ……
迷惑かどうかはアナタが決める事ではない。私が決める事だ
その言葉に女は一瞬目を丸くするも、すぐに当初の顔に戻った。
あ、あ、ありがとう……ございます!
少女は私の手を放し、一歩距離を取り勢いよく頭を下げた。
私はアンナです。あ、もうご存知なんでしたっけ?
まあ、書面上は……
これから、よろしくお願いします!
さっきまで死にたいと言っていたのが嘘のような、少し涙を浮かべた満面の笑みで、アンナは言った。
感情が目まぐるしく変わるアンナの様子に、内心呆れ気味に苦笑う。
その後出口までしばらく、理想の恋や欲しい服など私には理解に苦しむ話題をぺらぺらと口にしながらアンナは歩いた。
余程今まで我慢していたのだろう。いつまで経っても話が途切れない。私は適当に相槌を打ちながら、早足気味に牢へ向かった。
ディアヒストリー8 終