それから5日後。
私は囚人たちに対する罪悪の気持ちに駆られ、再び彼らの元を訪れました。
待たせてしまってごめんなさい。
ですがもう間もなく、皆様は自由を取り戻せるでしょう。
王女と呼ばれながら、私の権で牢を開けて差し上げられなくて、本当に申し訳ございません
私は深々と頭を下げます。
流石にお疲れなのでしょう。前ほどの混乱した様子は既に消え去り、囚人たちも冷静さを取り戻しているように感じ取れました。
鉄格子越しに私を見る囚人たちから、すぐさま驚いた様子の声が掛かります。
頭をあげて下さい王女様!
なにも、王女様が謝る事では……そりゃ!こんなことになってイライラするがよお、悪いのは全部、あのエリーナとかいう女で……
そうだそうだ!
王女様に首を下げて頂くなんて、恐れ多いのなんの!
このような石と鉄だけの過酷な場所で、さぞお辛い事と存じます
いんや、そんなこたぁねぇ。
王女様。もしやとは思うが、最近飯がちょっと豪華になってる気がするんだが、気のせいかい?
その言葉に、私は小さく目を丸くします。
仰る通り、エリーナさんが手配していた囚人たちのお食事は大変粗末なものでした。
雑穀が多く含まれた固いパンに、コップ一杯の蒸留酒。聞いたこともない木の実が数粒と、小さく切り分けられたリンゴが一欠片のみ。
囚人たちのレシピ表を料理人から見せて頂いた時は、大変申し訳ない気持ちでいっぱいでございました。ですのでここ数日は、柔らかな白パンにアーモンドミルク。煮込み味付けをしたレンズ豆と卵スープ、そしてデザートにアップルムースをお与えになるようにと手配していたのです。
お気付きだったのですね。
せめて。囚人食をもっと良きものにするよう料理人に頼んでございます
やっぱりそうか!
いやー旨いよ。生まれて初めて食ったよこんな旨い飯!
ありがとよ!
声を大にして歓喜する大柄の囚人を筆頭に、牢の奥にいる囚人たちの顔にもほんの僅かに笑みがこぼれました。
お礼を述べられるとは思いもよらず、このような状況でも私を気遣って下さる皆の心遣いに感謝します。
私は静かに微笑み返し、安堵の気持ちを胸に牢を後にしました。
◇
領主が城を不在にして1か月が経とうとしていた頃。
自室から階段室へと向かっていた最中、バタンという音が耳に入りました。
この音は紛れもなく書斎扉の閉まる音。聞きなれた音ですので間違える筈はございません。
もしやお父様がお帰りになられた?
駆け出したい気持ちを抑えつつ、私は足早に書斎へと向かいました。
◇
おお、ディア。留守中変わりなかったか?
いやー、なんとも愉快!訪問先では身分を隠して過ごしていたのだが、この私がなんと討伐クエストの隊長を務めることになってだな、オーク、オーガの軍勢をバッタバッタと―――
ノックをし入室の許可を得て中に入ると、満面の笑みで大手を広げ、大げさ気味に私を迎え入れるお父様と対面しました。
部屋の中央。なんとも楽しそうに身振り手振りで旅の思い出を語りだしたお父様ですが、私は到底そのような愉快な気分になれるはずもなく、適当に相槌を打ちながら話の切れ目を探します。
ひとしきり旅先の出来事を話し終えると、「実に愉快」と笑い進み、満足そうな表情で机に近づいていきました。
このチャンスを逃すまいと、私はすぐさま「自分の本題」を切り出します。
あの、お父様。
お疲れの所大変恐れ入りますが、急ぎ対応して頂きたい書類がございます。
お目通しをお願いしてもよろしいでしょうか?
ん?なんだね
私は書棚の引き出しへしまってあった200枚の[解放嘆願書]の束を持ち、お父様の書斎机にそっと置きます。
酷くいぶかしむ表情を見せたお父様は、そのまま椅子に腰を下ろしました。
なんだねこれは?
エリーナさんが捕らえた囚人たちの解放願いです。
今、我が城の内にある牢には200人の囚人が収容されています。
ですが皆あまりに不憫な理由で投獄されており―――
ふっ。はっはっは!
ついに200人か。我が牢の鉄格子部屋は20室しかなかったはずだが、それを10倍の200人!
エリーナが異端審問官に就く前は年に一人二人しか入ったことの無いあの牢に、この一年余りで……
あの娘もやりおるな
笑い事ではございません!
領民からもエリーナさんの行ったことに対する苦情が多数寄せられているのです。
このままではいずれ、民が反乱を起こすことでしょう。
エリーナさんに改善するよう促しましたが、全く聞く耳をもって下さいません……。
こうなっては、私が何とかするより他ありません
ほほう。それで?
見たところこの嘆願書は貴下が書いたと見受けられるが、私にどうしろと?
承認のサインを。
わたくしが囚人たちを解放します
なるほどな。
これが貴下の出した答えという訳か
お父様は机に置かれた書類を指でトントンと叩き、その深いブルーの瞳を私に向けました。
その瞳を、私も強い意志で見つめ返します。
こんなこと、あっていいはずがありません。
罪は正しく裁かれるべきで、決してただ一人の価値観で決めてはいけないのです
そうして目で訴えかけること数秒。
お父様はそっと目を閉じ私の視線を遮断すると、信じられない言葉を発しました。
ならぬ
っ!何故ですか!?
これはエリーナが書くべき書類だ
この期に及んで何をおっしゃるのですか……
わたくし自身が囚人たちと話し、良識を持って判断したのです。
確かに牢の権はございませんが、わたくしは王女として、民の自由を守る義務が―――
王女ならばこそ。権力を盾にしてはならぬ。
異端審問官は私が彼女に与えた仕事だ。
彼女の仕事を奪ってはならぬ
何故でございましょう。
何故お父様まで、そんな無慈悲なことをおっしゃるのですか。
権力を盾にしているのは、どうお考えになられてもエリーナさんの方ではありませんか
ほう……。左様か?
試すように向けられたその問い掛けに、私は一瞬言葉に詰まります。
なぜなら脳裏に、『自分は正しいのだ』と目で訴えかけるエリーナさんの姿が過ったからです。
『私は異端審問として、間違ったことはしていないからです』
そして、先程自分が発した言葉が蘇ります。
『わたくし自身が囚人たちと話し、良識を持って判断したのです。確かに牢の権はございませんが、わたくしは王女として、民の自由を守る義務が―――』
もしかしてわたくしは今、エリーナさんと同じことを……
ドクンと鳴る心臓を抑え、同時に牢の中の領民たちの姿を思い浮かべます。
しかし現実問題として、現状の牢の環境は緊急性を要するもの。
口答えと承知ですが、もう一言踏み込み言葉を被せました。
ですがお父様。
このままでは、罪なき命まで奪うことになりましょう
ふっ。安心しなさい。
彼女に処刑はできない
何故、そう言い切れるのでしょうか?
悲しを滲ませた私と、対照的に笑みを零すお父様。
少々呆れたようなお顔をなさったお父様は、机に両肘をつき口元の前で指を組みます。
そしてうっすら笑みを浮かべながら、その怪しげ口を開きました。
いいことを教えてやろうディア。
彼女は善意で、人を捕らえているのだ。
そして同時に、恐れているのだ。失敗をな
………
彼女に牢屋番をさせてみる事だ
………
お父様の意図が掴めない。
それで本当に、問題が解決するのでしょうか?
もしもエリーナさんがこのままエスカレートして、囚人に手をかけるなんてことがあったりしたら……
私の不安な表情を読み取ったのか、お父様は優しい口調で続けます。
まあ、『もしも』が起こらないとは限らない。
ディア、しっかりと彼女を見守りなさい
こうして、私の200枚分の努力は水の泡となりました。
今の私には、これ以上の打開策が見つかりません。
素直にお父様のアドバイスを受け取り、何の努力も実らぬまま、1か月を過ごした書斎を後にしました。
ディアヒストリー5 終