翌日。
ついに倭国との会談が始まった。
それほど大きくはないシャフル城の応接室に、これほどの人が集まったのはいつぶりだろうか。
長方形の部屋の中央には少々長めのテーブルが用意されており、暖炉側上座には領主、そして向かって左側には倭国のヨシノリとその従者が座っている。
両者ともに黒く輝く鎧を身に纏い、髪は総髪につき後頭部で一つに束ね結んだ姿。鼻下にはっきりと見える口ひげを生やしておりヨシノリは見たところ40代。従者はおよそ30代くらいだろうか。いかにも誠実そうなその従者は、ヨシノリの物であろうまるで鬼のような形相の兜を膝の上に抱え、黙って目を閉じている。
そして向かって右側のテーブルには薄絹の白いドレスを纏った金髪の王妃と、その娘シャッフル王女が並んで座りついに会談が始まった。
どうという事はない。領主にとっては慣れた空気。
心を開き声を軽く、しかし礼節をわきまえながら、道中を案じたり同席者を紹介したりと、社交辞令的なやり取りを交わし特段変わった様子もなく倭国との会談が進行していく。
この応接室には二つの扉がある。廊下から室内へ入室する扉と、奥の晩餐室へとつながる扉だ。倭国側の背面には出入り扉が、王妃側の背面には晩餐室へとつながる扉が構えてあるのだが、出入り側では扉を挟んで左右に倭国の兵とみられる鎧の男たちが4名ずつ、兜を抱え正座をし、皆一同に目を瞑り不気味なオーラを漂わせながら物言わぬ置物と化していた。
この場にいないヨシノリの兵10名は、部屋に入ることが出来ず外にて待機。
室内からは見えないが、恐らくは廊下で同じようにしてずらり正座をしていることだろう。
対して晩餐室への扉の左横には城の侍女が2名物静かに立っており、その侍女の隣にはシャッフル王女より招かれたエリーナが並び、正面の不気味な男たちの様子をただただ不審に見つめていた。
暖炉の薪がぱちぱちと音をたてて燃えている。
左右で雰囲気の違う不思議な応接室で、シャッフル王女は父の会話がひと段落着く瞬間を待ちわびていた。
お父様とヨシノリ様の会話が終わったら、わたくしにもお話の機会をお与えになって下さるかしら?
期待に胸を膨らませながら、用意された紅茶を飲むことも忘れ懸命に話を耳に入れる。
ディオール殿。
貴城へ参る道中、魔法というものを見るに至る。
国民皆一様にこの術を扱えると見受け候。
如何なるカラクリで習得なるものでござるか?
うむ。魔法というにも色々でございます。
この地の魔法というものに限定して言うなれば……
魔法とはいわば神秘との共存です
詳しく知りたい故、明らかする事を欲するで候
この地の魔法は大きく分けて4つあるのです。
トランプのスート『ハート』を象徴とする『水』の力。『クローバー』を象徴とする『火』の力。『ダイヤ』を象徴とする『土』の力、『スペード』を象徴とする『風』の力。我々はこの4つの神秘を、呪文を唱えることによって操ることが出来る種族であるのです
すまぬが『とらんぷ』というのを存じ上げぬ
これはこれは失礼しました。
こちらです
そう言ってブルーの上着の内ポケットから豪華な装丁のトランプケースを取り出した。
中のトランプを右手で受け取りテーブルの上でデックを滑らせると、トランプのスートが均等に顔をのぞかせ、緩やかな弧を描いて綺麗に並べられた。
ほほう
こちらの剣で例えましょう
領主は自らの背後、暖炉の上に飾ってあるソード&シールドを壁から外し、並べたトランプの上に静かに置いた。
何の変哲もない一つの剣。この剣に炎の力を持たせたたくばクローバーのスートを刻印し、魔法を発動させたい時に呪文を唱える。さすればこの剣は炎の剣となるのです
なんと……
こちらのシールドにも同じ力を宿すことが可能です。
強化したければ土の魔法を、衝撃を和らげたければ水の魔法を宿すのも良いでしょう
信じられぬ。お神以外でこのような力を扱えるとは素晴らしきでござる
今ご説明したのは『アイテム魔法』と呼ばれます。
これとは別に誠に小さな力ですが、寒ければ火種を出現させ火をおこしたり、空中の水分を集め布を濡らしたり出来る『自然魔法』が存在しますが、こちらは生まれ持っての力になります為、倭人の皆様が習得されるにはなかなかに難しいところがあるやもしれません
ううむ……
精霊や魔獣はご存知ですかな?
いかにも。木霊や妖怪と同義でござるか
左様です。
これらの力を借りることで、倭人の皆様でも魔法が使えるようになることでしょう。
もしよろしければ、今後定期的に魔法習得の会を開くのはいかがかな
あっぱれ。それは誠にありがたき。
余の国の為にもご教授願いたく候
表情硬くも、お互いに打ち解けたかのように会話を装う。
話が一区切りついたところを見計らい、領主は若干声色を変化させ自分たちの要求をちらつかせる。
それはそうと……ヨシノリ殿。
倭の甲冑は誠美しい装飾が施されておりますが、貴殿を見るに全く重さを感じさせぬ。
いかにしてその身軽さを手に入れているのか非常に興味深い
ディオール殿は我が国の匠に興味があるとお見受けする。
我が国では馬上での合戦が多く、革と鉄(くろがね)を用いて身を守るでござる。
馬上にて狙われやすい肩と脚部のみを鉄で重厚に覆い、その他は革で己のみを護りし候。
西洋甲冑は全てが鉄で出来ていると聞く、その心はさぞ重かろう
ご名答。我が国もとい近隣諸国の甲冑は強度が自慢。
しかしながら非常に重く、馬に乗るのも一苦労……。
魔力の優れるものは魔法にて騎乗を楽にしているが、それでも重さは否めない
では先程ご提案頂いた魔法習得の会に、我がお抱えの甲冑師をお呼び致そう。
佳き匠を披露するでござろう
それは大変ありがたい。
お互い、よい会にいたしましょう
ヨシノリの隣に座っていた従者が背後の兵に目配せする。
すると角ばった風呂敷袋を脇にした兵がその場でするすると結び目を解き始め、中から厚さ1cm程の紙束を取り出し手に持つと、表情硬く立ち上がった。
ガチャガチャと擦れて鳴る鎧の音。その兵はゆっくりと歩き出す。
皆の視線を集めながら向かった先は、いわずもがな領主ディオールの前。
持っていた紙束をその面前の机上へと置くと、何事もなかったように後退していった。
では……ディオール殿。
某の国との『倭理友好条約書』(倭国ー理芙沙爾)に署名を頂きたく。
お目通し願いたい
見慣れぬ紙と、墨の臭い。
領主は臆することなく書類を手に取り、その一枚一枚を確認する。
沈黙が支配する応接室。紙が捲られる微かな音が、緊張の糸を張り詰める。
そんな中でもシャッフル王女は、真剣な表情で書類を手にする父を見つめながら、その文面を想像し心の中でひそかに楽しんでした。
しかし……。
速読をする領主の顔は次第に険しいものとなり、最後の一枚に目を通し終わる頃には眉間にしわをくっきりと覗かせる。
ゆっくり顔を上げ紙束を閉じた領主は、かつてない冷目をヨシノリに向けたのだった。
これは一体どういうつもりかね?
ヨシノリ殿
我が国と貴国の友の契。
その条件の帰すところ、貴国の天下泰平は約束されたものなり
ゆるぎなくその真意を口にする。
しかし領主は決して頷きはしなかった。
短時間で読み取った条約内容。
そこに書かれていたのは以下のようなものだった。
一、貴国は倭国に対し、年一度以上の朝貢をされたし。
一、倭国民へは倭国の法律を適用させること。
一、商取引を平等なものとし、倭国からの輸入に対し課税しないこと。
一、信仰を平等なものとし、布教活動を認めること。
一、犯罪、紛争については平等の原則に従い、個人の意志よりも全体の意志を優先させること。
一、倭国民、貴国民を階級や身分に関係なく、平等な市民として扱うこと。
一、倭国民に土地を与え、平等な民として扱うこと。
一、個人の自由よりも、全体の利益を優先させるよう取り計らうこと。
他永遠と綴られる、倭国本位の条約文。
読み解けば読み解くほど理不尽極まりなく、個の自由を掲げる国リフルシャッフル侯国に対し、一方的に自国の天下泰平理念を押し付ける……。
そうこれは、紛うことなき「内政干渉の条約」であった。
ふっ。
我が国も随分低く見られたものだ。
遥々いらしたところ大変申し訳ないが……
お引き取り願いたい
その時だった。
突然つむじ風が室内に吹き込んだかと思うと、桜の花びらがとぐろを巻き舞乱れた。
うっ……!
突然の出来事にシャッフル王女初め皆が咄嗟に視界を閉ざす。
微かに風が弱まったのを感じ目を開けると、舞い残る桜の奥に先程までとは違う景色が広がっていた
……っ!
黒く塗られた鬼の面。目の前に広がる鬼の軍団。
ヨシノリ含め従者兵皆が兜を被り、不気味な視線をこちらに向けていたのだ。
悪魔……!
そしてヨシノリの黒い鎧の後ろからスッと、黒い着物を纏った女が現れた。
呆気にとられる領主と王妃、シャッフル王女の様子を観察し、着物の女は怪しく微笑む。
着物の端々には、金に縁どられた黒い桜……。
その着物、そして紅を塗った口元に、見覚えがある者が一人いた。
あいつはまさか……あの時の!?
瞬間、着物の女は扇子をバッと開き、口元を隠しながら何かを唱えた。
すると……
うっ……ああ!!
突然苦しみ出す王妃。何かに耐えるようにもがき、ついにテーブルクロスを強く握ったまま激しく椅子から崩れ落ちる。
ティーカップや花瓶がつられて床に散乱し、ガシャン、パリンと破片を散らした。
お、お母様!?
慌てて母の肩に手を掛けようとしたその時、王妃がゆらりと立ち上がり、冷たい瞳でにやりと笑った。
おーほっほっほっ。
これで王妃はわらわの物じゃ
王妃の口から発せられる、王妃ではない何者かの台詞。
明らかに様子のおかしくなった王妃を前に、シャッフル王女は立ち上がり後ずさった。
ディア……。ディア……
お母様!一体どうなさったのですか!?……お母様!!
力なく首を垂れた王妃の表情は、その美しい金色の髪の下に隠れてもはや見えない。
何かを探すように床に手を伸ばし、ついに花瓶の破片が指先に当たった。
その瞬間。
汚らわしい娘!!
消えておしまいなさい!!
っ!!
硝子の破片を握りしめた王妃が、シャッフル王女に向かってその切っ先を振り下ろした。
貴様!!!!
領主は瞬時にテーブルの上に置いていたソード&シールドを手に取り、着物の女に向かって切りかかる。
しかし。
ぬっ!?
着物の女に切りかかる直前、正座をしていた鎧の兵が目にもとまらぬ速さで割込み、領主のソードを刀で止めた。
出合え!
兵の掛け声を合図に正座をしていた他の兵が一気に立ち上がり抜刀する。
気付くと着物の女は消え去っており、王妃は糸が切れたように床に伏した。
ピクリとも動かなくなった王妃を足元に、シャッフル王女は呆然と立ち尽くす。
愛する母から浴びせ掛けられた、信じ難き呪詛。
愛する母から向けられた、信じ難き殺意。
あれは王妃本人の意志ではないと頭で分かっていながらも、受け入れ難い現実に身動きが取れなくなっていた。
ショック状態だったシャッフル王女は、ふと父の忠告を思い出す。
『無事倭国との友好同盟が結ばれるまで、貴下も決して気を緩めてはならぬ。
……何事もなければ良いのだが……』
ディア!!!
っ!!
ディオールの呼びかけにシャッフル王女は我に返る。
決闘!!
城全体を揺るがす程に、空気を震わせ叫ぶ領主。
すると城の各所に待機させていた衛兵10名が駆け付け、一気に室内は乱戦状態となった。
カキン、ガシャンと、あちこちで交わる刀と剣。
王妃の後ろに視線を移すと、鎧兜姿のヨシノリが目前まで迫っていた。
シャッフル王女は床に伏した王妃を挟み素早く数歩後ずさると、自らの背後に飾られていた2m弱の装飾されたランスを手に取り、その切っ先をヨシノリへと突き付ける。
よくもお母様を……
早くこの国から立ち去りなさい!
さもなくばっ……
鋭い目つきで威嚇するシャッフル王女に対し、無言で立ちはだかる鎧武者ヨシノリ。
黒く塗られた鬼面に阻まれ、その表情は伺いようがない。
角ばったシルエットに鋼鉄の体躯、頭部には牡牛を思わせる二本の角。
正にその姿は倭の悪魔として、シャッフル王女の脳裏に焼き付いた。
早くお母様をお連れして!!
シャッフル王女はヨシノリから視線を逸らさず、侍女たちに向かって懇願した。
恐怖に震える二人の侍女。しかしその悲痛の掛け声が、二人の使命を奮い起こさせた。
意を決して戦火の中へ。涙を堪え必死に王妃の下へ辿り着くと、何とか伏した身体を起こして、ずるずると晩餐室の方へ引きずっていった。
わたくしが皆を守ります
ヨシノリが一歩踏み出したその時、シャッフル王女は意を決した。
マシンガンシャッフル!!
目にもとまらぬ速さで隠し持っていたトランプを取り出し、ヨシノリに向け勢いよく解き放つ。
するとその瞬間、宙を舞っていた無数のトランプがまるで矢の如く加速し、鋭い凶器となり面前の鎧兜を掠り抜けた。
オクト、カット、フラ、リッシュ!!
怯んだ隙を見逃すことなく、ランスを横、左斜め、右斜め、縦へと操り、ヨシノリめがけて振り下ろす。
ところが‥‥‥。
っ!?
突如目の前に、ランスを受け止める一人の槍使いが現れた。
そう、それはずっと無言を貫き通していた、あのヨシノリの従者だった。
くっ……。
わたくしのランスを、止めるなんてっ!
我はヒデヤス、三国一の兵(つわもの)なり。それがしが相手になろう
うっ!!
勢いよく壁に跳ね飛ばされたシャッフル王女は、全身を伝う痛みに必死に耐える。
歪んだ顔で片眼を開けると、ヨシノリは乱戦の中悠々と部屋から退出し、乱戦していた兵も少しずつ外へと撤退していった。
逃がすな!!追え!!
領主の掛け声を先頭に室内にいた近衛兵たちも次々と倭人の後を追った。
戦況はリフルシャッフルが優位となる。なぜなら外には、更に多くの近衛兵を待機させているからだ。
静まり返る室内。
応接室には、ヨシノリの従者ヒデヤスとシャッフル王女の二人だけとなった。
ぐちゃぐちゃの部屋。傷だらけの壁。床に散らばったガラスの破片。
室内を照らしていた光の魔法石が、王女の乱れた魔力を感じ取ったのか突然パリンと砕け散った。
薄暗くなった室内で、消えかかった暖炉の炎が、ヒデヤスの背後を淡く照らしていた。
……許せ
未だ鋭い視線を突き刺すシャッフル王女を静かに見下ろしたヒデヤスは、静まり返った室内に小さな懺悔を落としていった。
鎧が擦れる音を響かせ立ち去る背中を、シャッフル王女は必死に目で追いかける。
そしてその背中が開け放たれた扉の向こうへと消えた時、晩餐室より侍女の叫び声が聞こえたのだった。
きゃあああああ!!王妃様!王妃様!!
っ!?
痛めた肩を庇いながらシャッフル王女が駆けつけると、そこには侍女の腕に抱かれながら眠る王妃の姿が目に入った。
王妃が纏っていた薄絹のホワイトドレスは、シャッフル王女の目の前で深紅のドレスへと染まっていった‥‥‥。
ディアヒストリー25 終了