その後。
エリーナさんはすっかり元気を取り戻し、いきいきと侍女の任に励みました。
驚くべき事に、自分から先輩侍女たちに頭を下げ、本来の侍女の任ではない炊事や洗濯、お掃除まで教わっているようです。
舞踏会の一件から2か月程が経ったある日のこと。
未だ帰らぬ領主の事を思いながら、書斎にて午前の公務を行っておりましたわたくしに、エリーナさんではない一人の侍女が、ノックをし入室の許可を求めてきました。
お入りになって
その言葉を聞くと侍女は流れるような動作で入室し、扉近くで姿勢を整え仰いました。
殿下。お忙しいところ誠に申し訳ございません。
実は、領民からの声を募る投書箱が凄いことになってございます……
凄い事とは?どのようなことかしら
うふふ。殿下もご覧になって頂けますか?
?
不思議そうに首をかしげる私に向けて、侍女が楽しそうに微笑みます。
いつかも今と同じようなやり取りをした記憶がございますが、侍女に導かれるまま、投書箱が設置されている街の広場へと向かいました。
◇
まぁ、なんということでしょう
あの時と同じです。
投書箱の中を確認するまでもなく、箱自体を埋め尽くす勢いで沢山の意見書が積まれていました。
そう、雪崩を起こした雪山のように……。
どういうことでしょう……
殿下が書斎でのご公務に就かれていたここ数日に、領民の皆様より寄せられたものと存じます
私は意を決して、溢れかえった意見書を、一枚一枚読み上げました。
『腰が痛い私に代わり、買い出しの荷物を持って下さった。エリーナ様に感謝申し上げます』
『主人が風邪で寝込んじまった時、エリーナ様が店の品出しを手伝ってくれたんだ。うちは重い荷物が多かったから助かったよ。時間があるとき、また手伝いに来ておくれ』
『以前エリーナ様に傷モノになったリンゴを差し入れたんだが、礼にとマカロンを貰ったよ。自分で作ったはいいが口に合わなかったと言っていたんだが、うちは子供もいたから大喜びだ。ありがとう!』
これは……全部エリーナさんのことではありませんか
驚くべきことに、投書箱に寄せられていた意見書全てに、エリーナさんへの感謝の言葉が綴られてございました。
傍で控える侍女に顔を向けるととても嬉しそうに笑っておられましたので、ようやく事の全容を把握でき頬を緩めます。
少し前まで、あんなに人々の怒りと憎しみを買っていたエリーナさんが、今ではこんなに感謝され、必要とされ、そして愛されている……。
嬉しくて、嬉しくて、私の目にはいつのまにか涙が浮かんでございました。
次々に意見書を手にとっては元に戻し、暖かい想いを受け止めます。
喜びの声が、こんなに沢山……。
エリーナさんに、早くお伝えして差し上げましょう
そういってにっこり微笑んだ時、風に吹かれて一枚の意見書が地面に落ちてしまいました。
拾い上げて中を開くと、そこには私へ宛てたメッセージが綴られておりました。
『王女様へ。お約束を守って頂き、心より感謝申し上げます。あの異端審問官がここまでお変わりになるとは思いもよらず、夢でも見ている気持ちです。貴女様を信じて良かった。この国は王女様がいる限り、幸せの国であり続ける事でございましょう。これからも変わらず、我らを光へとお導き下さいすよう、伏してお願い申し上げます』
読み終えると同時に、私の目からは、一筋の涙が頬を伝っておりました。
お礼を申し上げるのはわたくしの方でございます……。
わたくしを信じ、そして支えて下さったのは紛れもなく、この意見書を下さった皆様ご自身なのでございますから……。
本当に、ありがとう存じます……
私はその意見書を優しく抱きしめ、侍女に振り向き命を下します。
伝った涙を悟られぬよう、かつてないほどの笑顔を浮かべて……。
さあ、この意見書を一つ残らず、急ぎ城まで持ち帰りましょう
◇
翌日、お父様が馬の足音を響かせ城にお戻りになりました。
私はすぐさまエリーナさんと共にエントランスへと向かい、出迎えの準備をいたします。
しばらくして、玄関の扉をゆっくりと開き、お父様がお帰りになられました。
お帰りなさいませ。お父様。
随分遠出をなさったのですね
うむ。
せっかく馬を連れ外に出たのだから、久々に東の方にでも行ってみようと思ってだな。
少々冒険の旅を楽しんできたのだ
ふふ。左様でございますか
話しながら、お父様はスーツケースを床に置き風で冷え切ったコートを脱ぎ始めました。
するとそれを見たエリーナさんがすぐさまお父様の背後に回られ、自然な流れでコートを受け取り、当たり前のようにスーツケースを持って書斎へと去っていきました。
……
あまりにも自然に手ぶらになってしまったお父様は、去っていくエリーナさんの後姿を見て驚きを隠せないご様子です。
ディア……あれは異端審問官のエリーナか
あら?お気付きではなかったのですか。
あちらはわたくしの専属侍女のエリーナさんです
これは、たまげた……。
一体どんな魔術を使ったのだ。ディアよ
驚嘆の表情を浮かべたまま、お父様は私に問いかけます。
私は今までの出来事を思い返しながら、口元に人差し指を当て答えました。
ふっ、はっはっはっは!
……なんとまあ、驚いたぞディア!
よくぞあの堅物を説き伏せた。
これでようやく、我が領の平穏も保たれるという訳だ
お父様は大口を開けて愉快に笑い、心底安心した顔をなさいました。
エリーナさんはこの2か月、とても苦心しておられました。
是非お父様からもお褒めの言葉を
いや、褒めの言葉は貴下に与えよう。
ディア。さぞ苦慮したことであろう。
……良くやった
そういってお父様は優しく私の頭を撫で、ご自分の部屋へと向かわれました。
力強い労いの言葉と大きく温かな掌に触れ、嬉しさと照れくささが入り混じります。
誰もいなくなったエントランスで一人、私は小さく呟ました。
ありがとう存じます。お父様……
◇
数日後。
私とエリーナさんはお父様の書斎に呼び出されました。
お父様が座する書斎机を前にして、二人で並び命を待ちます。
一体なんの御用でしょうか……?
二人同時に呼び出されるという事は……
侍女を引き連れた外出の命でしょうか?
いろいろと思案しますが、真相は全てお父様が握っています。
書類を書き終えたお父様がついに顔を持ち上げまして、私たちの方を見て仰いました。
ここ数日、エリーナの仕事ぶりを見ていたのだがよく侍女の任をこなしている。
領民からの意見書も見させてもらったが、もう反乱の心配はなさそうだな
お父様は笑みを潜めつつ、客観的な評価を口にします。
一呼吸置きゆっくりとエリーナさんに視線を移し、続きの言葉を口にしました。
よって。確かな成長を遂げたエリーナに対し、私から褒美を授けることとしよう
え……?
予想だにしないお父様の言葉に、エリーナさんは驚き言葉を失ってございました。
土地を任せる。
リフルシャッフル侯領西側、オカルト域の一画だ。
未だ調査がなされていない未開の森だが、この地を好きに使うが良い
お父様は微かに微笑み、領地の地図を手渡しました。
エリーナさんは一歩前に出て、恐る恐る受け取ります。
よ、よろしいのですか……
よい。
自らの責任で部下を従え、心改め礼儀を尽くし、ついには領民の不信をも取り払った。
貴下にはもう、十分な判断力と知識が備わっていると評価する
あ、ありがとうございます
自由にせよ。その土地は貴下に任せる
言い終えると、次は私に向かい言葉を放ちました。
ディアよ。
貴下の指導の成すところ、エリーナはもう十分侍女としての務めを理解し、そして貴族としての礼儀作法を習得した。
今後は王女専属を解除し、異端審問官兼任として、エリーナを傍に付けるが良い
かしこまりました。
他の侍女たちにもそう伝えます
用は以上だ。下るが良い
エリーナさんと一瞬目を合わせて微笑んだ後、私たち二人は揃って書斎を後にしました。
ディアヒストリー19 終了