私が罪人と話をするようになって十数日が過ぎたある日、突然領主様に呼び出された。
昔の私ならば何とも思わない。呼び出しはただの呼び出しで、きっと任務についての伝達だろうと躊躇いもせず書斎の扉を叩いていた。
だが今の私は、ドアをノックすることさえ酷く恐れている。
罪人大量投獄の件は、領主様の耳にも入っているはずだ。
罪人たちと直接話して分かった自分の無知と、残酷さ。
恥ずかしいと思えるほどに、はき違えていた正義の意味。
きっと今回の呼び出しは、私の犯した罪を咎める為のものだろう。
どんな顔をして領主様の前に立てばいいのだ……
咎められ、失望され、捨てられるのではないか。
私は恐怖と悔恨の念に駆られながらも、恐る恐る書斎の扉をノックした。
領主様。エリーナです
入りなさい
扉を開け中に入る。
私は領主様と目を合わせられないまま、書斎机の前へと歩みを進めた。
呼び出された理由は、分かっておるな?
……はい
やはりだ。
囚人たちの件に間違いない。
私の様子を観察しているのか、領主様は次の言葉をなかなか口にしなかった。
処刑を待つ罪人の気持ちとは、このような感じなのだろうか
裁かれる側の心中。罪の心当たりがあればあるほど、私の心臓は身体を激しく打ち鳴らす。
この沈黙に耐えられない。私は懺悔と改心の言葉を口にすべく僅かに口を開いた……
その時だった。
そろそろ罪人の処遇を決めなければならんな。
エリーナ。許されぬ罪を犯し、生きている価値など皆無なものを選別し、貴下自身の手で裁きの鉄槌を下すがいい
え……?
耳を疑った。信じられない命を聞いた気がした。
私は思わず目線を上げてしまい、領主様と目が合った。
まるでメデューサからの呪いを受けたかの如く、思考も身体も、しばしの間硬直する。
私が……罪人に、裁きの鉄槌を‥‥‥
そんな事は、できない。私には、出来ない。
だって、私は皆と話してしまった。皆の苦悩を聞いてしまった。
そこにあったのは悪の心ではなく、ただただ『生』と『自由』を求めた結果でしかなかったのだ。
例え常識がそれを悪と呼ぼうと、あの者達の行動には、全てに深い意味があったのだ。
どうした?できぬか?
い、いえ……。了解、致しました……
私の答えを聞いて、領主様はにやりと笑う。
この人は、私が命を拒めないと知って言い放ったのだ。
嫌だ……。
私はあの者達を処刑などしたくない!
領主様は一体、何を考えているんだ。このままあの罪人たちを処刑して、本当にいいと思っているのか?
私の悪行と過ちを知っていてなお、何故このような命を私に……
出会った時から、何を考えているのか一切読めないお方だった。
私の常識から、酷くかけ離れた人間だった。
デュラハンに導かれ冥界へと手を引かれていた私を、現世へと引き戻してくれたのは、神でも天使でもなく、人間である領主様だった。
私はこの人の恩義に報いる為ここにあり、忠誠を誓ったのもまた事実。
だから私は、領主様のどんな命も拒めない。
もう良い、下りなさい
言われるままに一歩、また一歩と後ずさる。
これだけ、なのか……?
あまりにもあっけない数分の出来事。
納得できない何かが、退出への意志を邪魔している。
私は自分の中の得体の知れない感情を、思い切って口に出した。
あのっ……私を、咎めないのですか?
領主様は怪訝な顔で私を見つめる。
なんだ。叱られたいのか?
……
否定も肯定もできず黙ってしまう。
叱られると思った。少なくとも、かつていたギルドに於いては、確実に責められ、追い詰められた。だから、今回も例外なく叱られると思った。
なのに、領主様は私を叱らなかった……何も、咎めなかった。
叱られるのは嫌だが、いっそ叱ってくれた方が幾ばくか気が楽になったであろう。
そして私ではない誰かが、私の代わりに鉄槌を……。
そんな複雑な思いを感じ取ったのか、領主様は言葉を続けた。
貴下の仕事は、まだ終わっていない
領主様……
最後までやり遂げよ
笑顔はないが、その目には深くて重い『期待』が込められているように感じた。
私はその眼差しを、自身の心に深く焼き付ける。
そうだ。私の仕事はまだ終わっていない。
許されぬ罪を犯し、生きている価値など皆無なものを選別し、私自身の手で裁きの鉄槌を下す……
領主様の命を心の中で復唱しながら、意を決して返答した。
了解しました。最後まで、私の手で……
決断するのだ。
私はもう、逃げたりしない。
踵を返し書斎を出る。
過去の自分を閉じ込めるように、書斎の扉をゆっくりと閉じた。
◇
今日も良い天気です。
私は馬屋にて、身を休める愛馬シャルロットの美しい銀白の毛並みを撫でながらしばし語らいの時を楽しみます。
エリーナさんが牢屋番の任に就いたことで街へ出る事が少なくなったためか、領民からの苦情や新たな投獄は全くといっていい程無くなりました。
ようやく訪れた安息の日々を、一つも無駄にすることなく過ごします。
いい子ですシャルロット。今日も大変美しくていらっしゃいます。
差し込む日差しは眩しくありませんこと?もう少し日陰を作って差し上げた方がよろしいかしら?
そう言ってほほ笑むと、シャルロットは嬉しそうにいななき、頭を下げます。
シャッフル王女!
突然の呼びかけに、視線を声の主へと移します。
まあエリーナさん、ごきげんよう
エリーナさんとこうして顔を合わせるのは大変久しくありましたが、変わらぬ様子に少しだけ安堵します。
ですが何やら神妙な面持ちで、私の目を見据え口を開きました。
シャッフル王女。その、実は……
緊張気味に言い淀むエリーナさんの様子に、なにやら嫌な予感が致します。
また、トラブルでしょうか……?
それとも、よろしくない報告?
様々な可能性を思案しつつ、私も緊張気味に声を掛けます。
どうなさったのです?
何でも話してごらんなさいませ
は、はい。その……。
実はっ、シャッフル王女に、相談がございまして……。
今お時間よろしいでしょうか?
あらまあ。
エリーナさんがわたくしにご相談?
ええ、もちろんよろしくてよ
私は驚きと喜びに満ち溢れた満面の笑みで返答します。
これまで、何を言っても私の言葉を聞いて下さらなかった。
そして、私を信じて下さらなかったエリーナさん。
そんなエリーナさんが今、わたくしを頼って相談に乗って欲しいと願っているのですから。嬉しくない訳がございません。
あ、ありがとうございます!
エリーナさんは硬い表情のままですが、どうやら緊張の糸はほぐれたようです。
それで相談とは、一体どのような事でしょう
はい、牢の囚人たちの件なのですが……
エリーナさんは一度目を伏せた後、意を決したように言い放ちました。
牢の囚人たちを、ここで雇ってはもらえませんか!?
なんということでしょう。
私は目を丸くします。
囚人を雇って欲しいと相談されるとは、夢にも思っておりませんでした。
あら、まあ……。
それはまた、随分壮大なご相談ですこと……
そうしてエリーナさんは、これまで囚人と話してきたこと、感じた事、思ったことを、丁寧に聞かせて下さいました。
そして法が与える良き面と悪しき面を、私に一つ一つ力説していきます。
そう、いつもと変わらぬ真っ直ぐな目で……。
話しを伺いつつ、私はとても不思議な気持ちを味わいました。
今まで、法をなぞってばかりの意見しか持たなかったエリーナさんが、今目の前で、自分の意見を述べているのです。
それに、私自身も気づくことが難しかった領民の変化や生活状況を、的確に指摘して、改善策を提案してくださっています。
エリーナさんの大きな変化、いいえ、成長に、私はあの時の言葉を思い出します。
『彼女に牢屋番をさせてみる事だ』
お父様からの助言。
私はようやく、この言葉の本質に気付きました。
目の前の問題をただ解決したところで、根本的な問題の解決には至らない
私があの時、囚人を全員解放できたとしても、結局はまた同じ事態に陥ったのでしょう。
そして私に対するエリーナさんの反発は、ますます強まったことでしょう。
牢屋番の任についたエリーナさんは、自分の行った結果を知り、そして悩み、私の元へとやってきました。
真に信頼を得るためには、共に悩み、苦難に立ち向かい、同じ光を見つける事が大切ということなのですね
……というように、囚人たちが罪を犯す理由の根本の一つに『身分証』の存在があります。
これは城や領地へ入る為の通行証にもなり、そしてあらゆる支援ギルドへ出入りする為にも必要なものです。
ですがこの身分証が何らかの理由で失効してしまった場合、たちまち後戻りが出来なくなります
なんということでしょう。
傍に信頼のおける第三者がいる場合は再発行が可能なはずでしたが、何かそのようにできない事情がある方もいらっしゃったのですね
はい。このまま囚人を開放したところで、身分証を持たぬ以上、更生の可能性は限りなく低いと考えます。
ですので何とかこの者達に、しっかりとした身元を与え、身分証を発行して差し上げたいのです
ええ。貴女のお考えは素晴らしいものだと存じます。ですが……
……
エリーナさんが、私の発言を固唾をのんで見守ります。
そう、私も皆を雇って差し上げたいのはやまやまなのですが……。
お父様が、それを許してくださいましょうか……
領主様、ですか……
お互い、同じことを考え少し肩を落とします。
何よりも高く、大きな壁。
領民の皆様より『マルキ・ド・ケチ』とあだ名される、ディオール・ジュペ・シャフル一世の存在でございます。
ええ。
我が侯爵家は兼ねてより裕福ではございません。
といいますのも、お父様は税を集める事を嫌っておいででございますから‥‥‥
え?そんなはずは……。
私は毎月、領主様から税の徴収をするようにと命じられています
それは一つの例外でございます。
商会ギルドに所属している者からは、領地内での営業権を与える代わりに固定資産税を徴収しています
税の徴収は、当たり前ではなかったのですね‥‥‥
ええ。
幾つか例外はあれど、我がリフルシャッフル侯領内では、他国が行っているような納税の責を、基本的に領民の皆様には課していないのです
では、どのようにして領地の維持を?
エリーナさんの純粋な疑問が向けられます。
自らの領の仕組みを思い返し、想像し、改めてエリーナさんに説明いたします。
まず、農地で収穫された作物の輸出を基本とし、我が城にて作られる刺繍による紋章旗やフリルがあしらわれた前衛的な衣類、そしてバロックドレスの製作料といったもので収入を得ています
私は農地のある方角や城の各所に掲げられる刺繍の紋章旗を目で指したり、着用中の衣服の裾を軽く持ち上げます。
エリーナさんもつられて私の目線を追い、なるほどといった様子で私に向き直りました。
刺繍旗や服飾品については、我が領の特産品だと聞いています。
聞けば、他国の貴族たちから依頼が来るとか
ええ。大変光栄なことでございます。
ですがそれでも、領民から税を頂いていない以上、領地を維持するためにはギリギリの状態にあるのです
財政難とはいかないまでも、現在我が城で働く者は、私の専属侍女を兼任するオールワークメイドが一人、同じくトゥイニーメイドが一人。近衛兵が2人。そして雇われコックが一人と、領の国境門を警護する兼任兵士8人程が抱えられる限界なのでございます。
必要最低限の人しか雇えず、侯爵でありながら軍事力は弱小。
このような状況で、はたして領主が賃金を払う事に同意して下さいましょうか。
やはり、難しいのでしょうか……。
明日、領主様に嘆願書を提出しようとしていたのですが……
酷く肩を落とすエリーナさんを目の前に私はいたたまれなくなり、とっさに言葉を紡ぎます。
ご心配には及びませんこと。
明日、私もエリーナさんとご一緒致します。
共にお父様を説得いたしましょう
よろしいのですか……?
もちろんです。
エリーナさんの願い、きっとお父様に届くことでしょう
シャッフル王女……ありがとう、ございます
エリーナさんはとても柔らかな表情を浮かべ、それではこれでと立ち去りました。
全てを見ていたシャルロットが突然いななき、首を揺すり私に近づきます。
ええ。シャルロット。きっと願いは叶う事でしょう。
エリーナさんの未来に、神のご加護があらんことを
私はシャルロットの頭に頬を寄せ、しばし瞑想の時を過ごしました。
ディアヒストリー9 終