書斎にて。
今日はエリーナさんにとっても私にとっても運命の日でございます。
席に着くお父様と、その前に立つエリーナさん。
しばしの間を置き、エリーナさんが机の方へと一歩歩み出て、持っていた『紙の束』をお父様の前に置きました。
領主様。これを
……これは、何かな
私は書棚の近く、少し離れた場所からそっと2人の様子を伺います。
雇用嘆願書です。
この書類に記載されている囚人たちを、どうかここで雇っていただけないでしょうか
しばしの沈黙。
私もエリーナさんも、固唾を飲んで返答を待ちます。
すると……。
……否
っ!領主様…っ
エリーナ。
私は貴下に『罪人を処刑しろ』と命じたはずだが?
それは……
罪人たちの食事代だけでいくらかかると思っているんだ。
早く牢を空っぽにしたいが故お前に処刑を命じたのに、雇うなど言語道断
我が父なれど、処刑の理由に「予算」を持ち出すなんて、なんと無慈悲なことでしょう。
しかし、お父様にもきっと考えがおありなのだと、私は静かに顛末を見守ります。
りょ、領主様は私に仰ったではありませんか!
『許されぬ罪を犯し、生きている価値など皆無なものを選別し、私自身の手で裁きの鉄槌を下すがよい』と
ああ。言ったな
罪人達と話してみて、分かったんです。
許されぬ罪を犯している者などいなかった。生きている価値が皆無な者などいなかった……。
そう、誰もいなかったんです!
だから、私は……
エリーナさんは必死になって訴えます。そして一度息を整えたのち、静かに目を伏せこういいました。
人を罪へと導くのは、『環境』と『孤独』なのです
……ほう
お父様は面白いものを見つけたかのように口角を僅かに吊り上げ、いよいよ聞く姿勢に入りました。
とはいう私も、初めて聞くエリーナさんの告白に息を飲んで聞き入ります。
一枚のコインに表と裏が存在するように、法や規則にも表と裏がありました。
私はこれまで、コインの綺麗な表面しか見ていなかった。
むしろ裏面があることに、気付いてすらいなかった
なるほど。なかなか面白い例えではないか
私が捕らえた罪人たちに共通していたのは、『身分証』の存在と、『精神的な孤独』、もしくは『知識の停滞』でした。
我が領では、一度法の裏に入ってしまうと、二度と表へは出られなくなります。
この仕組みを変えなければ、問題は何一つ解決しません。
例え道を見失っても引き返せる、しっかりと光の当たる場所からやり直せる。それを常識にしなければならないのです
それで?いかにしようというのだね?
まずは、身分証の制度を一度見直すべきだと考えます。
そして、どんなに素晴らしい救済策があったとしても、本当に必要としている人に情報が届かなくては意味がない。
必ず、伝え導く人が必要です。
ですからあの罪人たちをこの城へ迎え入れ、今まで見る事がなかった裏の世界を、具体的に案内してもらうつもりです
はっはっは。
貴下の言い分は分かった。
指摘通り、身分証制度の改正には賛成だ。
だが現実問題、我が領には金がない。
金がないのだから、雇用は出来ん
お父様!
私はたまらず声を掛けます。
足早にエリーナさんの隣に並び、次は私からお父様の説得を試みます。
エリーナさんがここまで仰っているのに、あんまりではございませんか
しかしなぁ、金がないのだから仕方がないだろう?
ですが、このまま身分証を持たない罪人たちを解き放っても、結局また同じ罪を重ねてしまうことでしょう。
もしかしたら、飢えて命を落としてしまうやもしれません
それは可哀想に
まあ!お父様は罪人の命とお金どちらが大切なのでしょう
もちろん金だ
……!
なんということでしょう。さすがに家族といえどお父様のお気持ちは理解しかねます。
誉も何もあったものではありません。父のこういう所が私には受け容れ難く頭が痛むと同時に恥ずかしい気持ちでいっぱいでございます。
私は、目の前で困っている人を放っておくなんてことは出来かねます
湧き上がってくる感情を必死に抑え込み、次の言葉を紡げぬまま立ち尽くしていると、お父様は手持無沙汰を埋めるように、エリーナさんが置いた書類をパラパラとめくり始めました。
……ん?
どう、なさいました?
雇用嘆願書は、これで全てか?
私はエリーナさんと顔を見合わせ、是非を促します。
はい。これで全てです
明らかに不足だ。
確か牢に収容していた罪人は200人ではなかったか?
そういわれ私も紙の束に目を落とします。
確かに、私が解放嘆願書を書いた時よりも半分以下の厚みです。
不足ではありません。
私が雇用を願うのは、牢に収容されている罪人のうち50名のみですから
そんなっ、エリーナさん。
残りの150名の囚人の皆様はいかがなさるおつもりで?
平静を装いつつも、驚きとっさに伺います。
てっきり、囚人の皆様200名全員の雇用を願ってのことだと思っておりましたのに、まさか50名のみだなんて存じ上げませんでした。
私とお父様の眼差しを一手に受けながら、エリーナさんは申し訳なさそうに答えます。
残りの150名のうち147人は、既に解放しています
左様で、ございますの?
はい。
その者の行為や言動を曲解し、完全なる私の誤認によって捕らえられた者については、解放嘆願書の提出も不要と判断し、私の独断で解放しました
うむ。よくわかっているではないかエリーナ。
私は仕事を増やされるのが大嫌いなのだよ
お父様は不敵な笑みを浮かべ目を据えます。
それで?その残りの3名はなんなのだね
浮かんでいた同じ疑問をお父様が口にします。
私も囚人たちと会話をしましたが、この3名に全く心当たりがございません。
するとエリーナさんの表情がかすかに険しくなり、重い声で答えました。
一人は、行動と言動が一致していませんでした。
明らかに何かを隠し、不自然に解放を懇願してきた。怪しすぎます。
よってこの者は、まだ解放するわけには参りません
ほう……
一人は、頑なに黙秘を続け、結局一言も言葉を発しませんでした。
何故黙秘を続けるのか、全く見当がつかない。
よってこの者も、まだ解放するわけには参りません
……なるほどな
一人は、信じがたい事ですが、快楽的に人を殺めていた者です。
この者にはもはや、人間としての道理は存在しない。
よって野に解き放つことは不可能であり、そして命を落とした者、残された者らの事を考えれば、生かしておくことも許されない
そんな、いけません……!
私は最悪の事態を想像しエリーナさんの言葉を否定します。
このままではエリーナさんが、人を処刑してしまう。
悲しみにゆがむ顔を抑えながら、エリーナさんの腕を必死に掴みます。
いけませんエリーナさん。
いかに罪を犯そうと、その者も同じ人ではありませんか。
きっと何か、深い事情がおありなのでしょう。
考えを改めて下さいませ
シャッフル王女……
その十字架は、その罪人自ら背負わなくてはならないものです。
同じ人である貴女が制裁し、その美しい手を血で染めるなど許しません
私の手は、とうの昔に汚れています……。
手を、離してください
嫌でございます。
その罪人もいつかきっと、懺悔の為神に祈ることでしょう。
その時まで、信じてお待ちになってくださいませ
私の目には、知らず涙が浮かんでおりました。
その様子をお父様は静かに見つめておられます。
エリーナさんは困ったようなお顔でしばし私を見つめたのち、そのまま微笑み私に語り掛けました。
ご安心ください、シャッフル王女。
私に処刑は出来ません
左様で、ございますの?
はい
答えるとエリーナさんはお父様の方に向き直り、続けて意向を述べました。
処刑すべきだとは思います。憎しみの声も多くある。
ですが私は、この者が罪を犯した瞬間を見ておらず、現行犯でも捕らえていないのです
つまり、何が言いたい
時間が、欲しいのです。
私にはまだ知識が足りない。そして、覚悟も……
ふっ。はっはっは。
……好きにするがいい
お父様はエリーナさんの様子を楽しむように返答します。
一先ず、エリーナさんが処刑を思い止まってくださり安心いたしました。
私がほっと胸をなでおろしていると、続けてわざとらしく仰いました。
あっ、そーいえば……。
旅の道中、我が領に罪人が逃げ込んだかもしれないという噂話を耳にしてな。
隣国が周辺諸国に捕縛願いを出しておったのだよ。
いやーすっかり忘れておった
捕縛願い?
エリーナさんは初耳ですが?と聞き返します。
もちろん私も初めて伺いました。
エリーナよ。お前が選別した3名のうち最初の一人。挙動がおかしい罪人はおそらく隣国よりの逃亡者だ。
うむ。よくぞ見破った。‥‥‥なあ、ディア?
お父様は意味ありげに目配せいたしました。
その意味を、私は瞬時に理解します。
もしわたくしがあの時、全ての囚人を解放していたら……
お父様はこのことを、最初からご存知だったのでしょうか?
確かに私は、牢の皆と話をしました。ですが手を伸ばす者の話を聞いているうちに、全てエリーナさんの曲解による投獄だと思い込み、疑う事を怠り、そして口を開かぬ者に対してまでその思い込みを当てはめてしまった。
エリーナさんを信じず、慈悲の気持ちだけで動いた結果、私は愚かな判断を下すところでございました。
お父様の助言がなければ、今頃は……。
黙する私を不思議そうに見つめるエリーナさんに気付き、とっさに笑顔を取り繕います。
その瞬間お父様は椅子から立ち上がり、意気揚々と仰いました。
さあて早速罪人を引き渡しに行かねばなるまいな!
はて……懸賞金はいくらだったかな?
ふ、ふははははは!
隣国の願いをかなえたのですから良き行いをなさったはず。
ですのにお父様のお顔は酷く怪しく、そして不気味にうつりました。
ま、待ってください領主様!
あの、雇用の件ですが……
ん?ああ、その件なら先程から言っておるだろう。無理だ。
……だが
お父様は余所行きの上着を羽織り身支度をしつつ答えます。
……確か城の外れに、今にも崩れそうな廃屋があった筈だな……
それが、何か?
うむ。瓦礫と穴だらけのボロ屋敷だが、その廃屋で良ければ使うがよい
よろしいのですか!?
ああ、使えればの話だがな
試すように、お父様は念を押します。
私もその廃屋については存じ上げています。
肝試しにとこの廃屋へ入る子供たちが多いのですが、あらゆる箇所に傷みと亀裂が見られ、場所によっては床が抜け屋根が崩壊している有様です。よって危ないので取り壊しを願いますと、多くの住民より嘆願書が届いておりました。
しかしお父様は、『金がない。もったいない』と答え住民たちよりヒンシュクを買われておりました、ある意味曰く付きの廃屋です。
エリーナさんは何やら考えを巡らせているご様子でしたので、さすがにそこに住まわせるのは不憫でございますと慈悲を乞おうとした矢先、確信を得たかのようにはっきりと返事を返しました。
使えます。一人、心当たりが
ふっ。そうか。ならばそれで十分だろう。
……念のため言っておくが、金は出さんぞ?
……
きっとエリーナさんは、私と同じことを考えているはず……。
懸賞金をお与えになればよろしいのに!
ああそれと。知っての通り我が領の軍事力は弱小。流石にそろそろ、城を守る兵士を増やしたいと思っていたとろろなのだよ。
……それでだ。もし兵に志願したいというものがいるのであれば、金をやる代わりにその者の身元を保証してやらないわけでもない
本当ですか!
ああ。身分証制度の改正は、そう簡単に出来るものではない。具体的な案は後日改めて聞くとするが、今回は特例として、志願した者に身分証を発行してやろう。
だが……
お父様は先ほどまでの様子からうって変わり、エリーナさんを見据えて仰いました。
元は罪人。身元欲しさに志願した後、裏切られたらどうするつもりだ
お父様に対抗するように、毅然とした態度でエリーナさんが答えます。
私が責任を取ります
ふっ、元気がよいな
どんなことがあっても、私がすべて対処します
寝床と食事の確保、それに兵としての教育。全て貴下に出来るというのか?
出来ます。必ず、何とかしてみせます
きっとお父様は、エリーナさんの覚悟を試しているのでしょう。
でも…
お待ちになって。
わたくしにも、お手伝いさせてくださいませ
シャッフル王女……
エリーナさんはもうお一人ではありません。
皆で力を合わせて、共に未来を築きましょう
私はエリーナさんの手を取ります。
それを見たお父様は呆れたように笑い、肩をすくめて仰いました。
やれやれ。いつからそんなに仲良くなったのだ。
まあ良い。ディア、エリーナ、後は任せた
そういってお父様は書斎を後にしました。
ディアヒストリー10 終