暖かな陽気が人々の心を躍らせる今日。
我がシャフル城にてバロックダンス舞踏会が開かれました。
城の最奥にある舞踏会場は、美しいステンドグラスに囲まれたお城で一番大きな一室。ガラス製のシャンデリアが中央に一つ君臨し、窓から差し込む多くの光を室内にキラキラと反射させます。
会場壁際。近隣各国の令嬢や令息の皆様にとっては初の社交界といったご様子で、所作が大変初々しく、かつての自分を思い出しついつい笑顔が零れます。
ダンスフロアでは2組ずつ、煌びやかなドレスを纏った貴婦人と殿方が、楽隊の奏でるチェンバロやリコーダー、ヴィオラ・ダ・ガンバやヴァイオリンの音色に合わせ、ジーグやクーラント、ガヴォットを楽しんでおられます。
私も赤と金のバロックドレスに身を包み先程まで舞踏に興じていたのですが、連続での演舞となりました為しばし休息のお時間を頂いてございます。
いやはや!
本日はお招きいただき大変痛み入る。
感謝いたしますシャフル侯ディオール
いえいえ。
本日の舞踏会は貴殿への謝意も込めております故、どうぞごゆるりとお過ごし頂きたい
玉座へと続く階段上には2つの椅子が並べられ、隣国よりの来賓アダム伯爵と我が父ディオールことシャフル侯爵が、優雅にご歓談を楽しんでおられます。
エリーナさんの一件を終えすっかり平穏を取り戻した城内でしたが、休む間もなく舞踏会の開催が決定し、私はもちろんのこと、侍女たちもせわしなく諸々の準備に奔走しておりました。
しかしながら、こうして無事来賓の皆様の素敵な笑顔を拝見しておりますと、これまでの苦労も光となり、私の心は明るく照らされてございます。
ふと視線を領主へと向けると、何やら私へ目配せしているご様子。
お呼びと察し、階段をゆっくりと登っていきました。
大変お久しゅうございます。
アダム卿。ようこそおいでくださいました
随分お美しくなられましたなディアマンテ嬢。
お目にかかれて何よりだ
アダム伯爵とは、幼き頃に何度か顔を合わせたことがございました。
過去にバロックダンスの舞踏譜の解読に難儀していたところ、優しくお声掛けいただきました。
気さくにも目の前で実践して見せて下さり、おどけてみせる楽しいお顔が良く印象に残ってございます。
当時と変わらぬ白髪のパーマで、口ひげを生やした初老の紳士とでも申しましょうか。落ち着いた雰囲気に懐かしさと安息感を覚えます。
爵位は一つ下なれど父はいつも敬意を表し会話をしてございます。
どうやら、兼ねてよりお知り合いのご様子です。
アダム卿もご健勝のようで、心よりお慶び申し上げます
ほっほっ。なに。そうかしこまらずともよいよい。
久しぶりのパーティーではないかね。
倹約家のシャフル侯の下、良く支えておいでだ。
かしこまらず肩の力を抜くが良いであろう
ありがとう存じます。
我が領の今がございますのも、アダム卿のご助力と、父ディオールの政務あってこそ。
わたくしも日々学びに励む所存です
私は領主の座る椅子の少し後ろに立って付き、少々談笑の場に加わることとなりました。
私へ大らかに笑いかけた後、アダム伯爵は領主へ向き直り仰いました。
ほっほっ。よいよい。
しかしシャフル侯よ。貴殿の税嫌いと徴兵嫌いは兼ねてより存じ上げるが、このままでは爵位が伯爵へ没落しかねるのではあるまいか?
もう少し、民より税を取り兵力を誇示しなければディアマンテ嬢の将来に関わる
ご心配、痛み入ります。
ですがご安心くださいますよう。
つい数か月前に、我が領にも50名の志願兵が現れましてございます
おお。
城に入る途中、訓練中とみられる兵士を数名見かけましたが、もしや
左様でございます
ほっほっ。よいよい。
しかし、この老眼に狂いがなければ、何やらレディが兵を率いていたように見えましたが、貴殿の軍は女兵長であるか
興味深そうにアダム伯爵は目を輝かせておいでです。
すると父が私の方へ目配せし仰いました。
それについては、王女よりご説明頂こう
お話を振られました故、事の顛末をアダム伯爵にお伝えしますが、流石に言葉を選びます。
よもや元が罪人だとは、口が裂けても申し上げるわけには参りません。
お見掛け頂きました女性の名はエリーナ・ウォールナと申します。
志願した兵は皆、彼女を慕って我が城へとやって参りました
おお。なんと素晴らしい。
如何なる名家の出身ですかな?
大変恐れながら、彼女は平民の出でございます
なんと!
なれどそれほど慕うものがいるとは、さぞかし聡明な人柄なのであろう
…………
否定も肯定もするわけにはいかず、私はただひたすらに微笑みと沈黙で返答します。
シャフル侯、貴殿は誠に愉快な地を治めてございますな。
他の国にはない税制度、徴兵はせず志願兵のみ、そしてついには女兵長の起用と正に新天地!
有りがたきお言葉
ほっほっ。よいよい。
貴殿の常識を逸した政策や行動に難色を示す貴族も多くあるが、貴殿が行う逸格の政治は人々を光明へと導くものと見込んでいる。
隣国として、その行く道が実に楽しみで仕方がない
かの英雄、アダム伯よりそのようなもったいなきお言葉を頂戴できるとは夢にも思いませんでした。
ご期待に添えるよう、今後も政務をつくしましょう
うむ!良い心がけである。
しかしまあ、いくら志願兵が現れたとはいえ、50名では心許なかろう。
そうですなぁ……うむ
アダム卿は白い口ひげをお触りになりながら、何やら考え込んでいるご様子です。
しかしすぐに大きく2回頷き、お父様の方を見据え仰いました。
実は数名、シャフル侯の政治に大変興味をお持ちの公爵殿がおりましてだな、貴殿がお望みであれば是非お繋ぎいたしましょう
左様でございますか!
それは大変ありがたい。是非拝謁願いたく存じます
お父様の外交戦術には恐れ入ります。
領民にはあれほど嫌われていらっしゃるのですが、一部の貴族の方々からは絶大な信頼と高い期待を寄せられています。
いったいどのような外交をすればこれほどお褒めの言葉を頂けるのかと、終始不思議でなりませんでした。
ほっほっ。よいよい。
……おや?
噂をすれば、あそこに見えるはエリーナ兵長ではありませぬか?
アダム伯爵は椅子から少し身を乗り出して、入口扉付近を目で指します。
見ると確かに、そこにはエリーナさんの姿がございました。
なにやら侍女に伝言を伝えに来たご様子です。
ん……ゴホン。
左様でございましょうか?
最近遠くが良く見えないものでして……
え‥‥‥?
この距離で見えないはずは……。
もしかして、お父様は話しをうやむやにしようとしていらっしゃる?
私と同じ位置にいて、エリーナさんの姿が見えない訳がありません。
お父様の視力が落ちたというお話は聞いておりませんし、ましてや老眼になるお歳にはまだ早いはず……。
そうしてお父様の意図を読み取ろうと思考を巡らせていたのですが、気さくなアダム伯爵が思いもよらぬ行動をお見せになりました。
どれ。少し話を聞いてみたい。
こちらへ招こうではありませんか
そういって不意に立ち上がり、エリーナさんの方へと歩みを進めてお行きになりました。
お父様はといいますと、何故か額に手を当ててうな垂れていらっしゃいます。
その様子を見て、私は小声で問いかけます。
お父様……?
いかがなさいまして?
ですがお父様が私にお返事を返す間もなく、アダム伯爵はエリーナさんの手を引きこちらへ戻って参りました。
さあさあこちらへ。兵長殿。
いやはや。丁度よい所。
少し話をお聞かせいただきたい
突然手を引かれ連れてこられたエリーナさんは、怪訝なお顔でアダム伯爵やお父様、私の顔を伺います。
あの、兵長とは誰のことでしょうか?
それにこの老人は一体何者だ?
ああ、アダム伯爵に向かってなんと失礼なっ
私はとっさにご説明に入ります。
エ、エリーナさん。
こちらの方は本日のご来賓、アダム卿でいらっしゃいます
アダム卿?
ほ、ほっほっ。ゴホン。
まあ、よいよい。
突然のことで驚かせてしまったかな?
いえ。それで?
ご用件は何でしょうか?
私は忙しいので手短にお願いします
それを聞いたお父様はやけに陽気なお声で口を挟みます。
なーんと責任感の強い兵長殿だ!
本日はパーティーなのだから、私の与えた任務の事は忘れ、肩の荷を下すがよいであろう。
大変失礼いたしましたアダム伯。普段より人一倍努力家な娘故、少々疲れがたまっていたようです
領主様!
兵長とはいったい何のことですか!?
私は兵長などという役職に就いた覚えはありませんが?
はて?兵長ではない……と?
私はこの領で異端審問官を務めますエリーナ・ウォールナです
アダム伯爵に向かってきっぱりと間違いを指摘してしまい、お父様は引きつった笑顔で間に入ります。
ご説明不足で申し訳ございません。
この者は我が地の治安を守る異端審問官も兼任してございます。
しかしながら、兵長という大そうな役職はまだ自分には相応しくないと謙遜し、頑なに拝命を拒んでいるところなのでございます
ん……ゴホン。
あー、そうであったか。うむ。
異端審問官といえば、もしや件の罪人はこの者が捕らえたということか?
左様でございます
おお!なんと!
この者があの異端審問官か!
一度礼を言いたいと思っていたところなのだよ
少々曇り気味になっていたアダム卿のお顔も、なんとか元の笑顔に戻られほっと胸をなでおろします。
しかしながら、エリーナさんの無礼はとどまることを知りませんでした。
件の罪人……?
もしや、あの捕縛願いを出していたのは貴方ですか
左様だ。
あの罪人にはほとほと手を焼いておりましてだな。
略奪、誘拐など前科も数知れず。遂に私の屋敷に忍び込み、兵を押しのけ金品を強奪していきよった
なんて甘い……。
それほど前科がある罪人だというのに、牢にも入れず野放しにしていたのですか?
エリーナさんの問いに瞬く間にお顔が曇ります。
……。
私の地はな、牢を持たぬ主義なのだよ
そうですか。ではその罪人にはどのような処罰を?
火の魔法を使い身体に罪の印を烙印し野に放ったのだ
あの者に焼き込まれていた印は、スティグマだったというわけですか。
なんて愚かな。それでは何も解決しない。
むしろ、罪人を社会的に追い詰め犯罪を助長する仕組みなのではないですか?
私も、お父様ももうお顔が真っ青です。
恐れ多くもアダム伯爵の政治を批判し問い詰めるだなんて無礼にも程がございます。
アダム伯爵はしばらく無言で微笑み、ゆっくりと口を開きました。
ほっほっ。
なんとまぁ、はっきりとした審問官殿だ。
さぞ手厚い教育を受けてきたのであろう。
恐れ入りましたぞ。シャフル侯
い、いえ……。
そろそろ教育方針を変えようかと思っていたところでして……
はは、は……
お褒めの言葉ありがとうございますアダム卿。
それで?話はこれで終わりでしょうか?
特に用がないのでしたら、私はこれで失礼します
ああなんということでしょう。
エリーナさん、今のお言葉は誉め言葉ではなく嫌味でございます。
どうしてお気付きになれないのでしょう
お父様の様子を伺うとお顔が真っ赤でございました。
このままでは我が侯爵家の威厳に関わると思いたまらずフォローに入ります。
エ、エリーナさん。
アダム卿はお忙しい身。
本日は特別にお時間を頂き、我が城へお越し頂きました。
我が領の政策は大変特殊でございますが、アダム卿の治める地は大変朗らかな治世。
学ぶべきところが多くあると存じます
そうなのですか?
ですからこの機会に、少しお知恵を頂いてはいかがでしょうか?
私はエリーナさんに無言で向き合い『微笑みの圧力』を浴びせ掛けます。
これ以上お父様と、アダム卿の顔に泥を塗るわけには参りません。
態度を改めへりくだりますようにと念を込めて微笑みます。しかし……。
いえ。結構です
さ、左様でございますか……
もうおしまいですわ……
では、これで失礼します
そういってエリーナさんは悠然と立ち去っていきました。
ほ、ほっほっ。
なんとまあ。大そう自信おありの審問官殿だ。
ディアマンテ嬢の方がお若いとお見受けするが、長上の臣下を従えるのは至難の業でございますなぁ
お人はよろしいのですけど……
全力を尽くします……
私は肩を小さくし恐縮します。
どれ。ディアマンテ嬢。
幼き頃より励んでいたあのチェンバロの演奏を、是非聴かせてはもらえませんかな?
アダム卿よりリクエストを頂けますこと、大変光栄でございます。
それでは、『王女のためのソナタ第491番』を
柔らかい笑顔で私のチェンバロ演奏を所望下さり、私はお腹の前で右の手のひらを上に、左の手のひらを下にし軽く合わせ、軽くひざを折りお辞儀をします。
楽隊近くに設置してあるチェンバロのもとへ歩みを進めながら、密かに決意を固めました。
この状況下で、絶対に失敗は出来ませんわ
席に着き悟られぬよう深呼吸をした後、チェンバロの鍵盤を弾きます。
私の演奏が始まったことを受け、しばし談笑を楽しんでおられました貴婦人の皆様が、ひそひそと私について語りだした気配を感じます。
その中に、お父様とアダム伯爵のお声が混じっていない事を考えると、きっと無言の時間をお過ごしなのでしょう。
ああどうかわたくしの演奏で、お父様の名誉を回復し、アダム伯爵のお気持ちが安らぎますように‥‥‥
5分程の曲を弾き終えると、小さな拍手があちらこちらから聞こえてきました。
真っ先にアダム伯爵の方を見ると、とても満足そうに微笑み、ゆっくりと拍手をして下さっておりました。
大役を終え、私は丁重に拍手のする先々へもお辞儀をし、お二人の前に戻ります。
ほっほっ。よいよい。
見事上達しましたなディアマンテ嬢。
実に感慨深い。
素晴らしい演奏、ありがたく頂戴いたしました
お褒めにあずかり光栄でございます。アダム卿
アダム伯爵の嬉しそうな笑顔を受け、先程の重い空気が晴れたかのように思われました。
しかし……。
では……そろそろ失礼させて頂きます
えっ……あ、お待ちになって下さいアダム卿。
この後はわたくしより晩餐会をご用意させて頂いております
おお、そうであったな。
しかし不本意ながら、ディアマンテ嬢が奏でるチェンバロの旋律に乗って、我が屋敷で留守を任せているペットの『ケルベロス』が寂しく鳴いているのが聞こえたものでな。
いやはや、大変急な事で困った魔獣だが、帰ってやらねば可哀想だ
まあ……それは大変でございます。
どうかお傍にいて差し上げてくださいませ
お心遣い感謝致しますぞ、ディアマンテ嬢。
では
そういって立ち去るアダム伯爵に、急いでお父様がお声をかけ後に続きます。
お見送りいたします
いや結構。
我が身内の淑女の皆々は今宵のディアマンテ嬢の晩餐会を大変心待ちにしておいでである。
シャフル侯ディオール。どうか最後まで皆を楽しませてやって下さいますよう、心よりお願い申し上げる。
それでは
そう言ってアダム卿は、待機していた数名の侍従を連れ舞踏会場から立ち去ってしまいました。
私とお父様はゆっくりと顔を見合わせ、お互い引きつった笑顔で苦笑います。
どういたしましょう。
アダム伯爵は完全にご立腹です。
ああ、なんということでしょう……
心の乱れはあらゆる芸術に作用します。
今日は素敵な舞踏会。私はすぐに平静を取り戻し、その後の時間は全てアダム伯爵のご意志、そしてお父様の名誉にかけ、お客様のもてなしに誠心誠意全力で取り組んだのは言うまでもございません。
ディアヒストリー12 終