【魔女の祝福】
草木も魔獣も眠る深夜、私はそっと動き出す。
自室の机に魔法陣を書き終えたところで、祓魔師の部屋から革袋を拝借した使い魔が部屋に戻ってきた。
「黒いの、ぐっすりだったぞ」
「今日も朝まで起きないわね」
魔法陣の上に革袋の中身を並べながら、私と使い魔は顔を見合わせて笑う。秘密の作業なので、起きていられては困るのだ。
魔法陣の上には祓魔師愛用の絵描き用インク壺。横の作業机にはたくさんの小さな包み紙が淡く光っている。
シャッフル侯国で祓魔師がお店を出すようになって早1年。楽しい事も、慣れずに大変な事もたくさんあったように思う。
記念すべき日に絵を描きたいと言ったのは祓魔師だ。その日の景色を自分の手で残したいと嬉しそうにしていた。絵心がない私は店番を任されているけれど、それだけなのもつまらない。
しかし魔女はふと気付いた。私ってば【魔女】じゃない?と。いつも【魔法使い】に擬態していたから、何となく忘れていたのである。
侯国の森の外れにある魔術師達の集う館には女魔術師がいる。そして侯国の民は魔法使い。その女魔術師や一般の魔法使いと『魔女の私』には明確な違いがあった。前者は【魔法が使える人間】であり、後者は【魔女という種族】である。
古代から続く悪魔の眷属の血筋。自然や精霊を敬愛しているため精霊の力を借りやすく、大魔法も容易く扱う。100年以上生きてようやく一人前と見なされる、不老長寿の人ならざるものーーこれが【魔女という種族】の、おおよその定義である。
魔女は門外不出のあらゆる占術や薬草学、そしてまじないに長けている。そして魔女の私は、その二つ名に恥じぬ強力なまじないをかけるのが得意であった。
とはいえこの地で魔女は怖がられるので、エリーナ嬢以外、正体は秘密にしているのだけれど。
さて、まじないには結構な時間が必要である。
満月の夜に開かれる妖精たちの宴、その跡地に落ちている傷もシミもない月の色をした【月妖精の涙】と呼ばれる石を探そうと決めた魔女のスケジュールは過密を極めた。
昼間は占術で見つけた宴の跡地へ使い魔と共に出向き、石の採集。夜は魔女印の眠り薬で祓魔師を昏倒…もとい穏やかに眠らせて、採集した石に魔力を込めつつ乳鉢とすりこぎでゴリゴリと粉砕。そしてまた占い、石を拾い粉砕…を繰り返すこと約1ヶ月。
この間、当然魔物討伐もある訳だが、祓魔師は「最近ぐっすり眠れる」と絶好調で出かける頻度が増えた。まさか薬を盛っているとも言えず、欠伸を噛み殺しながら魔物を倒していたのは魔女と使い魔だけの秘密だ。
今日の空には再びの満月。準備は万端、仮眠もバッチリ。自分の魔力も満ち満ちて、最高のまじない日和である。夜だけど。
窓を大きく開け放ち、部屋に月光を招き入れる。
「さて、仕上げましょうか」
魔女文字で書かれた陣の上のインク壺に正しい順番で光る粉末を落とし、魔法陣の前に跪く。
手を組み祈ると、魔女の魔力が黒と赤が入り混じる光となる。その光は少しずつ壺に吸い込まれ、やがて小さく空気が弾ける音と、金の光が漏れ出した。それらを気配で感じながら、魔女は目を閉じて祈り続ける。
ポンっと軽快な音がしたのを聞いた魔女は祈りの姿勢を解き、壺を覗き込む。月の石と自分の魔力が混じり合ったインクは、最初より煌めきを増した。成功である。
「ごしゅじん、おわった?」
「そうね」
邪魔にならないように見守っていた使い魔が魔女の体に頭をすり寄せて「ほんとに、ずーっと効くの?」と聞く。
「【幸運のインク】の効果は保証するわ。あなたにもね、私の可愛い使い魔さん」
ーーインクを使った者や作品を見たものに、幸運をもたらす。それは特別な呪文も精霊の力も使わない、古代の魔女のささやかなおまじない。永遠に途絶える事のない祈り。
侯国に生きる全ての人、そして代え難い友人に、たくさんの幸運が降り注ぎますように。
【この世界に彩りを】
最近はなんだかやけによく眠れる。
悪夢に途中で目覚めさせられる事もない。
良い気分ですっきり起きれるのだ。たまにはこんな日もあるのだろう。
雪の女王の吐息がいたづらに吹けば、自然の精霊や神々たちの影響を受けやすい、
未開の森の木々達はあっという間に、紅葉し、また、寒さに弱い私も眠りにつきやすくなる
という訳である。
そう、精霊や神々の類は気まぐれなのだ。雪の女王は、自分の活躍する日までの
時間を持て余して、吐息をつけばそれが木枯らしとなり、我々を凍えさせる。
この世の節理なのだという。炎の精霊サラマンダーと雪の女王はご存じの通り、
相性が悪い。なので少しずつ、ほかの精霊たちの力も加わり、季節が巡ってゆくのだ。
比較的穏やかな気候のシャッフル侯国も、じわじわとやってくる雪の女王の吐息に、
時には外套を羽織らなければならない、そんな季節となった。
思えばシャッフル侯国に流れ着いてからもう季節がひと回りしてしまった。
今まで同じ土地に留まる事はせず、…留まろうにもこの怪しげな魔道具と私の容姿に
村人や町人は驚き、冷ややかな目線を向けた。慣れていたし、それを当たり前として
受け取っていたので、初めてシャッフル侯国に流れ着いた時はかなり正直面食らった。
シャッフル侯国の人々は他の村々の人々とは違った。
温かく出迎え、受け入れてくれたのだ。その優しさに、気付けば季節が廻っていた。
優しきシャッフル侯国の皆々様になにか出来ないだろうか。
そう考え、ふと昔趣味で描いていた絵の事を思い出した。
たまには絵筆を取るのも悪くないだろう。と、埃の被ったインク壺を棚から引っ張り出す。
幸いインク達は劣化することなく鮮やかな色彩を保っている。
私の絵で少しでもシャッフル侯国の優しき人々が、
私の大事な相棒の魔女の心が華やげばよいと
思いながら、そっと絵筆を取った。
